道東で酪農修行・回想の旅



道東・根室管内、知床半島の南西に広がる根釧台地の上の酪農の町。
中標津町に来てひと月がたつ。
僕はいま、ここ中標津で酪農の仕事をしている。
酪農の仕事とはどんなものなのか。それを学び、実感するために、僕はここへやってきた。どのくらいかかるかわからないけど、ここ中標津である程度、酪農の仕事を身につけるつもりだ。


なぜわざわざ道東へきたのか?
そして、はるばる道東へ酪農修行にきたなら、なぜ日本一の生乳生産量を誇る隣の別海町ではなく、中標津なのか?
それには理由がある。


武佐岳(写真右)と
放牧中の牛たち
以前のエントリーでも書いたが、かつて北海道で放浪の旅をしたとき、一番印象に残っていたのが、この根釧台地に広がる酪農地帯だ。はるか先まで一直線に伸びる道路。見渡す限り広がる牧草の丘陵。そこでたくさんのホルスタイン牛たちが放牧され、のんびりと草を食む牧歌的な光景。かと思えば、曇り空の湿気った日には霧がたちこめ、ノスタルジックで幻想的な風景に一変する。悲哀に満ちた勇壮なバグパイプの音や、ケルトの歌声が今にも聴こえてきそうだ。「きっと、イギリスやアイルランド、スコットランドの田舎もこんな感じなんだろうなーーー」ナイトノイズECM時代のパット・メセニー など、お気に入りの音楽でそんな空想を増幅しながら、最果ての地に向かうかのように、ただただ僕は、あてどもなくひたすらに車を走らせていた。そんな放浪の旅の後もずっと、その光景とともに僕の脳裏に残っていたのが「中標津」という地だった。美瑛に暮らし慣れてもなお、「道東の中標津に、まだ僕の探し求めている何か、あのとき忘れてきてしまった何かがある、いや、残っているかもしれないーーー」という想いが一向に消えなかったのである。その探しものの行方によっては、もしかしたら美瑛ではなく、中標津に移住するという選択肢もあるのかもしれない、、、そんな思いでいる。





霧のたちこめる牧草地帯。かつて北海道を放浪したときの記憶や
感覚がよみがえってくる、、、。


フリーストール牛舎で給餌中の
ホルスタイン牛たち
そして酪農。純粋に単なる好奇心というのもあるし、ゴンドアの谷の小さな家で質素に暮らすシータのように「大自然の中で牛とのんびり仕事したい」という、メルヘンチック全開で、安直で甘っちょろい考えもある(実際にはものすごくハードでヘビーな仕事(!!)だが、それはまたの機会に、、、)。しかし何より、ここ北海道で酪農という仕事はとにかく「潰しが効く」のである。そういう仕事ができるということは、今後の僕のスローライフ実現のための重要な要素となる。そして何より、自然環境や生きものが大好きで、それこそ前述の「天空の城ラピュタ」のシータや、「やかまし村の子どもたち」のようなパーマカルチャー的暮らしをしていきたい僕にとっては、やはり仕事もなるべくそれに近いものを、、、と思うのはごく自然なことなのだ!


搾乳のため牛舎に戻っていく放牧中の牛たち


今回の僕の酪農修行プロジェクトは、そういった酪農の勉強と、僕の過去の記憶や想い出に遡り、そして納得するための「回想の旅」ーーー本当のところをいうと、こっちの目的の方が強いーーーなのである。そして、もし自分に酪農の仕事への適性があるのなら、この先の仕事の選択肢がひとつ増える。という算段だ。


すべては僕のスローライフ実現のため。
そのために今、やるべきことを着実にやり、そして見定めるのだ。
なにかを探し求めていたあの頃に記憶を巻き戻し、再生・回想しながらーーー


中標津町の町並み。写真左奥にはまだ残雪の多い斜里岳がみえる。

深い霧のなかでくつろぐ牛たち。別海・標茶・中標津・標津をはじめとした道東は
夏も冷涼で牛たちも過ごしやすい。それがこの一帯の酪農王国たる所以だろう。

写真中央左奥にみえる斜里岳。ここから北東に向かって
知床半島の山々、知床連山が連なる。

北海道遺産にもなっている「根釧台地の格子状防風林」のほんの一角。
主な構成樹種はカラマツ。そのほかシラカンバ、水気の多いところでは
ミズナラ、ヤマハンノキ、ヤナギなどが入り込んでいる。

広大な牧草地と牧場がどこまでも続く。雄大などという言葉では全然足りないほど
圧倒的なスケールの大地。人間の営みがしょうもないほどちっぽけに感じる。
否が応でも、我々人間も地球の上に暮らしている、とある一つの生きものに過ぎない
ということを痛感させられる。

果てしなく続く根釧台地と道路。