特定外来生物だろうが何だろうが、生きものはみんなかわいい。このセイヨウオオマルハナバチもずんぐり太っててキュートだ。トマトのビニールハウス内をブンブン飛び回って、せっせと花粉を集めている。彼らの巣は『ナチュポール』の箱だ。
この製品としてのセイヨウオオマルハナバチ、ハウス内から野外への逸出による野生化が問題になっているが、ハウスの外に出てしまった個体は、ハウス内にある自分の巣に戻りたそうに周辺を飛び回っているのだ。そういう光景をみるたび、なんとも言えない気分になってくる。そしてこの「製品」は、用が済めば「処分される」。
こんな農業や社会でいいのだろうか?いいはずがない。
市場原理主義、そしてそれを走らせている資本主義経済は狂っている。はるか昔からわかっていることなのに変えられない呪いである。
、、、いや、呪いではない
僕らは自ら足枷をはめている
足枷をはずす鍵はいつも持っている
僕らは自らを奴隷たらしめているのだ
来る日も来る日も
本当のところは嫌な物事や避けれるはずの物事に対峙し
意義や、主義や、自尊心や、正当性や、正義をねじ込もうとする
本当のところは嫌な物事や避けれるはずの物事に対峙し
意義や、主義や、自尊心や、正当性や、正義をねじ込もうとする
こんなことをして生きている生きものが
ヒトをのぞいて他にいるだろうか?
なぜ野菜をホルモン剤で強制着果させなければいけないのだろう?なぜ環境問題や生物多様性を叫ぶのに、農薬まみれになる単一作物大量栽培が要求され、そして食されるのだろう?なぜ真冬のスーパーにナスやミョウガやシソが陳列されているのだろう?なぜ手塩に育てた「家族同然」の家畜たちが殺され、換金されるのを笑顔で見送れるのだろう?なぜ食材を大量輸入・大量廃棄できる国がある一方で、毎日多くの餓死者がいる国があるのだろう?生きものの生理を捻じ曲げ、利用し尽くし、季節を無視し、そしてすべてを都合よく忘れることができる。すべては人間の欲望、金・金・金だ。そして僕もその人間だ。
パーマカルチャーに寄り添った暮らし方をしたい僕としては、こんなことに加担するのは嫌だ。テレビでは誰かが「地球に優しく」と言っている。だけど、真冬にトマトとナスのパスタを食べたいときだってある。森やその生態系などを破壊する畑作や、酪農や、畜産でつくられた野菜や牛乳や肉を喰らい、そして棄てている。僕は勝手だ。人間は勝手だ。
これが『ナチュポール』 |
彼らの巣はここ |