いろいろつっこみどころがあると思うが、北海道の大規模農業を学びはじめた僕の、そして以前から農協に対して抱いている率直な心境を述べたい。
北海道の大規模農業こそ法人化が必要だと感じている。法人化し人員や工程など野菜作りに関わるあらゆる物事の合理化、効率化をとことん推し進めるのだ。使用する農業機械や資材などのリデザインも欠かせない。だからこそ、TPPの推進が必要なのだと感じている。
例えば、僕が今お世話になっている親方の所の農場面積は、ゆうに東京ドーム10個分以上はある。そんな広大な農場、そして経営を、家族と数人の出面さんだけで切り盛りしているのだ。当然作業にも効率的とは呼べないものや、経営上の雑務も多い。そして、地域の離農者がいかに多いことか!!ドローンやHALなどのロボティクスやIoT、バイオミミクリーなどの技術革新がどんどん進む中、こういったテクノロジーを利活用しようという気配が感じられないのが歯がゆい。
そして、もう一つ言いたいのは農協の体たらくである。
いったい誰が、農業を、離農者が続出する仕事にしてしまったのか。
いったい誰が、農業を、儲からず、体力的にキツく、休みも無く、侮蔑の意味を込めて百姓と揶揄されるような仕事にしてしまったのか。
いったい誰が、農業を、若者が敬遠する仕事にしてしまったのか。
農協の責任によるところは大きいはずである。
農協はもはや、農家のための組織ではなく、自らの組織を維持するためだけに肥え果て、自らの腹を満たすために農家たちを借金まみれにする化け物組織に成り下がった。僕にはそうとしか映らない。今や農協は、日本の農業を弱体化させているまさに張本人ではないのか!?だから僕は、全中の解体を試みる安倍さんを応援しているのだ。
たとえば、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような革新的な人が、農業全体を俯瞰し、そのエコシステムを再設計したら、いったいどんな事になるのだろう。はっきり言えるのは、農業が未来的で、先進的で、若者が夢や憧れを抱き、楽しくカッコいい仕事だと認知されていくだろう。儲からず、体力的にキツく、休みも無く、侮蔑の意味を込めて百姓と揶揄される現状は一変するだろう。
農業には、日々しのぎを削る民間企業の力学、そしてデザインやテクノロジーの力、または生態学などの知恵、そして革命が必要だ!
写真はとあるトマトのビニールハウス。ハウス内には受粉のためセイヨウオオマルハナバチが放たれている。植物が100m先まで一列に並ぶ整然さと、ヒトと昆虫との共同作業に素直な感動を覚える一方で、特定外来生物とともに育てる単一の植物だけのこの箱庭に異常さや違和感を感じる、ナチュラリストの自分もいるのである。
北海道の大規模農業こそ法人化が必要だと感じている。法人化し人員や工程など野菜作りに関わるあらゆる物事の合理化、効率化をとことん推し進めるのだ。使用する農業機械や資材などのリデザインも欠かせない。だからこそ、TPPの推進が必要なのだと感じている。
例えば、僕が今お世話になっている親方の所の農場面積は、ゆうに東京ドーム10個分以上はある。そんな広大な農場、そして経営を、家族と数人の出面さんだけで切り盛りしているのだ。当然作業にも効率的とは呼べないものや、経営上の雑務も多い。そして、地域の離農者がいかに多いことか!!ドローンやHALなどのロボティクスやIoT、バイオミミクリーなどの技術革新がどんどん進む中、こういったテクノロジーを利活用しようという気配が感じられないのが歯がゆい。
そして、もう一つ言いたいのは農協の体たらくである。
いったい誰が、農業を、離農者が続出する仕事にしてしまったのか。
いったい誰が、農業を、儲からず、体力的にキツく、休みも無く、侮蔑の意味を込めて百姓と揶揄されるような仕事にしてしまったのか。
いったい誰が、農業を、若者が敬遠する仕事にしてしまったのか。
農協の責任によるところは大きいはずである。
農協はもはや、農家のための組織ではなく、自らの組織を維持するためだけに肥え果て、自らの腹を満たすために農家たちを借金まみれにする化け物組織に成り下がった。僕にはそうとしか映らない。今や農協は、日本の農業を弱体化させているまさに張本人ではないのか!?だから僕は、全中の解体を試みる安倍さんを応援しているのだ。
たとえば、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような革新的な人が、農業全体を俯瞰し、そのエコシステムを再設計したら、いったいどんな事になるのだろう。はっきり言えるのは、農業が未来的で、先進的で、若者が夢や憧れを抱き、楽しくカッコいい仕事だと認知されていくだろう。儲からず、体力的にキツく、休みも無く、侮蔑の意味を込めて百姓と揶揄される現状は一変するだろう。
農業には、日々しのぎを削る民間企業の力学、そしてデザインやテクノロジーの力、または生態学などの知恵、そして革命が必要だ!
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写真はとあるトマトのビニールハウス。ハウス内には受粉のためセイヨウオオマルハナバチが放たれている。植物が100m先まで一列に並ぶ整然さと、ヒトと昆虫との共同作業に素直な感動を覚える一方で、特定外来生物とともに育てる単一の植物だけのこの箱庭に異常さや違和感を感じる、ナチュラリストの自分もいるのである。
ハウスというケージに囚われているセイヨウオオマルハナバチ。 外来種だろうが在来種だろうが、生きものたちはみんな 美しく、かわいい。不憫という言葉は使いたくないが、 彼らをみているとどうしてもそういう感情がわいてきてしまう。 そして、そういう自分や人間社会が、愚かで、恥ずかしく思えるのだ。 |