トマトの収穫が最盛期だ。7月中旬以降、早朝から夕方までひたすら収穫作業が続いている。ここ上川地方では、初夏の低温や日照不足と、夏の例年にも増す高温と湿度もあってか、トマトに様々な生理障害がでている。なかでも果実の一部分が柔らかくなってしまうものが最近かなり出てきていて、選果場で相当な数がハネられているみたいだ。
ただ、果実の一部が柔らかくなっただけ。
それだけで捨てられてしまう。
何の問題もなく、おいしく食べられるのに。
本当にもったいない!!
食べられるのに、捨てられる。
いのちをもらい、いのちをつなぎとめる、一人のいのちあるものとしてよくよく考えてみれば、これは異常な事だ。食べられるのに捨てるという事は、いのちを粗末にしている事と同義だ。とは言い過ぎだろうか?
なぜ捨てられるのか。
それは市場が求めていないからだ。
そう、現代の消費者は、味や栄養よりも見た目の方が重要なのだ。見た目がピカピカでキレイな野菜の方がより良いと錯覚しているのだろう。以前スーパーの野菜コーナーで、いかにも農薬を使って育てたであろうピカピカに光った長ネギが売り切れているのに、泥付きのぶっとい下仁田ネギは大量に売れ残っている光景を目にしたことがある(似たような光景はいつでも見ることができる)。ピカピカの野菜を選ぶ人は、土を「汚いもの」と認識しているのではないか?ピカピカの野菜はまさしく土や虫や微生物によって育てられたのに、その形跡がないものを「おいしそう」だと思い、土や虫たちの食痕の付いたものを「まずそう」だと思っているのではないか?
もしそうなのだとしたら、それはとっても情けない事だ。
現代人はもうずいぶん前から、土と離れてしまった。
テレビなどでは美味しい野菜の見分け方を紹介している。そういうものを見聞きしなければ、何が美味しいのかも分からなくなってしまった。そしてそれは、自分自身の視覚や味覚、試行錯誤を経て獲得した【知恵】ではなく、失敗を経ず、アタマだけで分かっている(=分かったつもりでいる)【知ったかぶり】というものだ。
トマトに食害をおこすアザミウマや虫たちは、無数にある果実のなかのどれが美味しいかを知っている。そして農薬が散布された野菜には近づかない。それが不味く、危険なものだということをわかっているからだ。それはまぎれもない【知恵】だ。
コンピューティングや生命科学が発展し、ロジカルシンキングが闊歩する。
それが賢くなるということなのだろうか?それを知恵というのだろうか?
それは人間の進化と呼ぶべきものなのだろうか?
五感は衰え、アタマばかりがよくなり、
いのちの手ざわりや予感を忘れてしまった人間は、
むしろどんどん愚かに、無知に、そして脆弱に
なってきているのではないだろうか?
地球に暮らし、生ききること。
そして、命の本質から
どんどん遠ざかってはいないだろうか。
着色不良。この部分だけが先に熟し ブニブニになってしまう。今夏は この症例がかなり出ているらしい。 |
それだけで捨てられてしまう。
何の問題もなく、おいしく食べられるのに。
本当にもったいない!!
食べられるのに、捨てられる。
いのちをもらい、いのちをつなぎとめる、一人のいのちあるものとしてよくよく考えてみれば、これは異常な事だ。食べられるのに捨てるという事は、いのちを粗末にしている事と同義だ。とは言い過ぎだろうか?
なぜ捨てられるのか。
それは市場が求めていないからだ。
それにしても、そういう野菜たちを
「勿体無い勿体無い」と嘆く人たちが
まわりにたくさんいる。つまり確実に需要があるのに
そういうものが流通しないのはなぜなんだろう?
そう、現代の消費者は、味や栄養よりも見た目の方が重要なのだ。見た目がピカピカでキレイな野菜の方がより良いと錯覚しているのだろう。以前スーパーの野菜コーナーで、いかにも農薬を使って育てたであろうピカピカに光った長ネギが売り切れているのに、泥付きのぶっとい下仁田ネギは大量に売れ残っている光景を目にしたことがある(似たような光景はいつでも見ることができる)。ピカピカの野菜を選ぶ人は、土を「汚いもの」と認識しているのではないか?ピカピカの野菜はまさしく土や虫や微生物によって育てられたのに、その形跡がないものを「おいしそう」だと思い、土や虫たちの食痕の付いたものを「まずそう」だと思っているのではないか?
もしそうなのだとしたら、それはとっても情けない事だ。
現代人はもうずいぶん前から、土と離れてしまった。
テレビなどでは美味しい野菜の見分け方を紹介している。そういうものを見聞きしなければ、何が美味しいのかも分からなくなってしまった。そしてそれは、自分自身の視覚や味覚、試行錯誤を経て獲得した【知恵】ではなく、失敗を経ず、アタマだけで分かっている(=分かったつもりでいる)【知ったかぶり】というものだ。
トマトに食害をおこすアザミウマや虫たちは、無数にある果実のなかのどれが美味しいかを知っている。そして農薬が散布された野菜には近づかない。それが不味く、危険なものだということをわかっているからだ。それはまぎれもない【知恵】だ。
コンピューティングや生命科学が発展し、ロジカルシンキングが闊歩する。
それが賢くなるということなのだろうか?それを知恵というのだろうか?
それは人間の進化と呼ぶべきものなのだろうか?
五感は衰え、アタマばかりがよくなり、
いのちの手ざわりや予感を忘れてしまった人間は、
むしろどんどん愚かに、無知に、そして脆弱に
なってきているのではないだろうか?
地球に暮らし、生ききること。
そして、命の本質から
どんどん遠ざかってはいないだろうか。