オオハンゴンソウ(大反魂草)

オオハンゴンソウ(大反魂草)

この時期、このあたりではあちこちでオオハンゴンソウが大小の群落を形成し、満開に花を咲かせている。僕がオオハンゴンソウを知ったのはもちろん『北の国から ’98時代』。正吉が百万本のバラならぬ「百万本のオオハンゴンソウ」で蛍を射止めたエピソードでだ。五朗さんの遺言にも、メタファーとして登場する。


リアルタイムで『北の国から』をみていた当時は、特定外来生物なんてなんのこっちゃ?と思ったものだ。オオハンゴンソウ、セイヨウタンポポ、ニセアカシア、そしてセイタカアワダチソウ、、、(キク科ばっかだな)、、、ここいらには強力な外来植物がたくさんいる。他の外来植物や園芸種~人間が改造した植物~の逸出ももちろんだ。以前は外来種と聞けば目の色が変わったものだが、今は「まあ、しょうがないんでないの」と思っているのが正直なところだ。


以前のエントリーでも述べたが、船や飛行機などで地球の陸海空隅々まで往来するようになることが、生態系の一部としての人間の進化の過程の必然とするならば、外来種~より強靭な種~が在来種に取って代わったり、そもそも「外来種・在来種」などという手前勝手な概念・便宜が生まれるのも、また必然だからだ。もし今から外来種を根本的に無くし、在来種を保護するのであれば、我々人間一人一人が、カラダひとつで行動可能な地域(コロニー)で一生を送らなければならない。なぜなら、機械や道具を使って移動する生きものは人間以外にいないからだ。さもなくば、移動や渡航の際に強力な検閲・検疫・クリアランスを設けるしかない。そしてなにより、我々は資本主義を止めなければならない。予算によって駆除エリアが限られることもある一方で、観光資源や蜜源が無くなるからといってニセアカシアの伐採に反対する観光や養蜂などの主体もいる。外来種の駆除や防除など、その処遇には必ずお金が付いて回るからだ。すべてはビジネス。地球上で起こっている美しい自然現象、尊い命の営み、、、あらゆる事象が「カネ」という幻想の肥やしとなる。資本主義の土俵の上では、あらゆる物事の本質がことごとく歪められる。あちこちに穴を開けている「矛盾という名のブラックホール」を避けながら、僕らは暮らしている。


そしてさらに、そういう考えすらどうでもいいと思うこともある。
なぜなら、逆説的だが、何万年、何百万年【人間には果てしなく遠い未来だが、地球の歴史では一瞬】ののちに、外来種や在来種などというしょうもない区別・識別をする種族など、地球に生存していないのではないかと想像するからだ。もちろん、そんなイデオロギーを超越した、進化を極めた人間が存在していればいいなとは思う。だけど、はたしてそうなっているだろうか、、、?今よりはるか未来に、羽が生えて空に進出したり、鰓を備えて海に進出したりと進化・分化し、そんな俗な観念を超え、地球と仲良く暮らすニンゲンたちがいればいいなと空想するけれども。

いずれにしても、人間が地球と究極的に仲良く生きていくためには、人間は「地球上で特別な存在」なのではなく、「あらゆる生命と同等」であるという「パラダイム革命」が必要なのだと思う。でも本当は、そんな革命など起こらなくても、その事実はいつでも、すぐそこにある。そして、地球の怒り(巨大災害など)によって命の危機に晒されたとき、否が応でも思い知らされるのだ。人間も「あらゆる生命と同等」であるという事実に。「生きとし生けるもののひとつにすぎない」という真実に。そこには、外来種だの在来種だのという都合や差別など、まぎれもなく存在しないのだ。

いたるところで見られるオオハンゴンソウ群落