北海道の厳しい冬がもうすぐ終わる。春からどうするのか、まだ決めていない。
このまま美瑛に留まるのもいい。だけど、憧れの北海道に移住し1年がたった今でも、僕の心に燻り続けている確かな思いが、まだ1つ残っている。
道東。
はるか地平線まで一直線に走る道路。見渡す限りの丘と、牛の放牧地が広がる草原。かつて北海道を放浪したときからずっと、僕の脳裏に焼き付いている牧歌的な光景だ。もう一度道東に行き、自分はどこに留まるべきなのかを、今一度自分に問い質し、そして明らかにしたい––。そんな思いが、日を追うごとに強まっている。
でも、実のところ、僕はどこかひとところに留まることなんてできないのかもしれない。あるいは、そういうことに向いていない。自分がそういう性質なのを、僕は小さい頃から本能的に解っている。風のように、常に流浪していたいのだ。
たかが占い、されど占い。「4属性占い」というものがある。だいぶ前にひょんなことから知ったのだが、このなかで僕は「風の属性」だ。自分が風のエレメントだということをはじめて知ったときは、そんな自分の本能的確信が正しかったこと・それまでの生き方や行動、考えの辻褄が合ったこと・そして「自分の規範」の原理をみつけ、理解できたような気がして、嬉しさや安堵や自信?なんかを感じたものだ。そして、おそらくはその事に、改めて北海道移住への気持ちを強くしたのだと思う。
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風のように生きたい。
ジプシーや遊牧民のように。
渡り鳥たちのように。
乾季から雨期にかけ、命の水を求め旅する
野生動物たちのように。
僕はいつも、そんなことばかり考えている。
- Hobo Outsider -
それが、僕の根っこであり、本質だ。
それを僕は、はるか昔から知っていた。
だけど、世間はそれを、そんな生き方を許さない。
いや、そのパラダイムに抗う知恵も、力も、勇気もなかったと言うべきだろう。
誰もが、どこかに定住し、奴隷のような、画一的な一生を送ることを奨励する。
誰もが、スペシャリストになることを奨励し、そして賞賛を送る。
なぜみんな、専門家を目指そうとするのだろう?
なぜ、普通種(ジェネラリスト)ではダメなのだろう?
なぜ、何かに所属させ、ロール(役割)に当てはめようとするのだろう?
なぜ、この窮屈な螺旋から抜け出そうとしないのだろう?
なぜ、人間はもっと自由に生きられないのだろう?
足もとでは、草木や、虫や、生きものたちが
精いっぱいに、いのちを謳歌しているというのに––
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さて、、、来年は道東に行ってみようか。牧羊が盛んな士別や風車の立ち並ぶ苫前、最北の地・稚内にも惹かれる。歴史のある函館や松前、江差もじっくりみてみたい。まだ、、、まだ、根は下ろせない。まだ、確かめたいことがある。いずれにせよ、僕は僕をどう定めるのか、近い将来、明らかになるはずだ。
北海道にはまだ、懐かしい風の匂いが残っている。
耳を澄ましてみれば、その風に乗っていつも
ホーボー・ブルースがきこえてくる。
僕には、古き良きその記憶が染みついていて、
いつも僕を、旅に駆りたてるのだ。