”私は貧乏ではない。質素なだけです。”
”貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことです。”
ホセ・ムヒカ
José Alberto Mujica Cordano
ホセ・ムヒカ、ウルグアイ前大統領が現在来日中だ。(僕も含め)日本や世界でこの人が愛され、注目されているということが、この現代社会の混沌とした状況を如実に表している。動乱の人生の過程で、研ぎ澄まされた倫理観と博愛精神、そして幸福論を獲得した人なのではと思う。僕の目指しているようなスローライフを実践されている一人だ。
ムヒカさんが一躍有名になった2012年の地球サミットでのスピーチ。そのちょうど20年前の1992年、同じリオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミットでも、「伝説のスピーチ」と呼ばれるセヴァン・スズキの演説がある。その20年の間、はたして世の中は良くなったのだろうか?1992年、セヴァン・スズキのスピーチが喝采を浴び、途中、アル・ゴアの「不都合な真実」がブームとなり、GNHのブータンにときめき、そして2012年、ムヒカのスピーチが喝采を浴びる。、、、何も変わっていない。いや、ちょっとは良くなったのかもしれない。でも、結局のところ、相変わらず我々は同じ土俵の上で、無限ループを続けているのだ。
アメリカの2016年大統領選では、民主社会主義を標榜するバーニー・サンダースが人気かと思えば、あからさまに国粋主義を説くドナルド・トランプも人気だ。そして巷では年々、北欧型福祉社会やベーシックインカムの話題が増えてきていると感じる。市場原理主義に諸手を挙げる人々、あるいは疑問を感じない人々は、ムヒカさんやセヴァンさん、そして何より、「持たざる者」「搾取される側」であることを強いられている発展途上国の人々を前にしたとき、はたしてなにを思うのだろう。どこまで確信的でいられるのだろう。難解な専門用語や理論を並べる経済学者は、貧困に喘ぐ親子や家族を前に、なにを語りかけるのだろう。
”私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。”
主義や思想がちがっても、ただ、手を差し伸べる。
それだけでいいのに、それが容易にできない。
そんな世の中なんて。