アイスクリームと、生命維持の本能




「北海道では、ガンガンにストーブを焚いた家の中、みんな半袖でアイスクリームをほおばる。」世間ではそんなイメージがあったりする。北海道での冬のアイスクリーム消費量は都道府県中ナンバーワンというデータもあるようだ。実際、北海道の冬の家の中はすごく暖かい。東北はもちろん、長野や新潟、北陸など雪の多い地方と全般的に比べても建物の気密性が高く、二重窓など断熱もしっかりしている。そんな家の中、室温を25度とかそれ以上にする。当然、アイスクリームがおいしくないはずはないのである。
かく言う僕も、長年の内地暮らしのせいか20度もあれば十分暖かいのだけど、それでも毎日のようにアイスクリームをほおばっている。外は豪雪、マイナス10度とか20度にもなるのに。まあ、僕の場合はそもそもアイスクリームが好きなこともあるのだけど、、、。


この真冬にアイスクリームを食べる理由、テレビやネットなどのトピックではどこを探しても「部屋がすごく暖かいから」という理由しか挙げられていないのだけど、僕はもっとプリミティブで生態学的な、本質的な理由が根っこにあると思っている。


それはズバリ、「生命維持の本能」である!


北海道の冬は厳しい。冬眠前にたくさん食べ、たっぷり脂肪を蓄えるヒグマや野生動物のように、あるいは、ドングリやクルミを地面に埋めて、抜かりなく食料を備蓄しておくエゾリスたちのように、極端に食べものの減る冬、人間にも、「万が一のため、できるときに、できるだけ、脂肪を蓄えておく」という本能が働いているのではないか?そんなふうに思うのだ。甘くておいしいアイスクリームは、てっとり早く脂肪分を摂取するのにうってつけだ。暑いとまで感じる場所でなら、カラダも冷ましてくれるからなおさらである。まさに一石二鳥、極めて合理的な、本能に従った選択・行動ではないだろうか!?


「地球カレンダー」的に地球の誕生から今現在までを1年と考えると、原始生命を経てやっと魚類が出現したのが11月下旬、ホモ・サピエンスの誕生にいたっては約20分前、そして産業革命はたったの2秒前。ざっくり見積もると、冬でも安心して、いとも簡単に食べものが手に入るようになったのが1秒前である。しかもそれは、人間の、それも一部の、幸いにも裕福な国に生まれ育った人間に限っての話だ。それまでの果てしない時空のなか、いのちはいつも、飢餓・死と隣り合わせながら進化してきた。そして北海道では、真冬の自然のど真ん中に放り出されようものなら、それこそ下手をすれば凍死が待っている。現代人は、むきだしの自然・野生から、文明という「脆い膜」で、その命を守っているのだ。


「喰う・喰われる」という命の営みがはじまったのが、地球カレンダー的に11月初めと考えたとしても、およそ60日(ふた月)のなかのたったの「1秒」で、命の本能・進化の歴史が消え去ったり、ひっくり返るわけがない。だから北海道の人たちは、極寒の冬、甘くて脂肪分たっぷりのアイスクリームを、生命維持のため(!)真夏のような室内でほおばっている。飛躍感ハンパないけど、そんなわけで僕は、この仮説があり得ると思うし、けっこう気に入っているのである。