THE ONLY CONSTANT IS CHANGE.1: 農業や資本主義社会、人間や未来のあり方について、今思うこと。

"この世で唯一不変のものは、変化するということだけ。" - ヘラクレイトス
1月2日、望岳台にて。


 どんなに時代が変わったって、農薬なんて使わず、お天道様のもと、四季のうつろいを感じながら、汗をかきながら土を耕す。それが一番健全で、清々しく、一番素晴らしいに決まってる。


 だけど、現代の・産業革命以降の農業は、増加し続ける世界人口の腹を満たす農産物収量を担保しなくてはならない。それにも関わらず、止まらない都市への人口流出や農業の担い手不足という現実。それでいて、地球自然環境・生物多様性の保存や回復・復元もしていかなければならない。であるならば、遺伝子組み替え作物やF1種など、人造を極めた野菜品種たちが隆盛を極める今更(!)において、水耕栽培や培養など野菜生産の工場化・工業化が進んでいくのは、農薬使用量の最適化や・森林破壊の最小化、そしてビオトープタイプなどをはじめとした多様な生態系の復活など、持続可能な地球環境・バイオマスの利用、健全な生態系の維持、ひいては人間社会の実現を目指すことにおいて、明らかに合理的で、必然の流れではないか?また、現代の酪農や畜産においては、古き良き放牧をやめ、動物たちを狭い畜舎にほぼ一生押し込む工場化・工業化が主流だ(逆に、動物福祉に則したムーブメントも興って(復興?)きている。)。生まれてくる仔は「一頭残らず」ナンバリングされ、ひたすら肥えさせられ、具合の悪い個体には抗生物質や薬を盛られ、ツノを削がれ、去勢され、尻尾を切られ、来る日も来る日も搾り取られる。まさに「人間に利用されるためだけに生まれてきた。」と言っても過言ではないだろう。

"I am GOD'S CHILD. この腐敗した世界に堕とされた。"
「月光」鬼束ちひろ

安い肉(や野菜)を求めれば求めるほど、家畜(や野菜)たちの置かれる環境はいっそう過酷になり、そして「命の源である食べものをつくる農業」はみるみる疲弊していく。つまりは人間の健康や健全さ、そして生存がいよいよ危機に陥っている。それが今ーーー行き過ぎた資本主義の末路だ。命を喰らい、その栄養を吸収し、排泄するという生命の本分・本能を、「大いなる循環のなかに生かされている」という命の掟を、僕らは忘れすぎてしまった。「無限にお金(幻)を増やそう。そしてみんな幸せになろう!」というプロパガンダに酔い痴れ、夢中になり、そしてそのもとで僕らはあまりにも好き勝手に「やりすぎて」しまった。トリックは暴かれた。資本主義ーーー貨幣というラスボスーーーはついにその本性を現した。そしてその正体は、はるか昔から誰もがうすうす気づいていた。にもかかわらず、崇め、服従することを止めなかった。僕らは地獄へと続く螺旋階段を「自らの意思で」ひたすら降り続けている。この酪農・畜産の工場化・工業化や、地球環境破壊などの事実があるにも関わらず、野菜生産が工場化・工業化していくということに、今更何の矛盾や葛藤、戸惑いを感じるというのだろうか?むしろ明らかに理に適っているのではないか?いろいろな物事が改善に向かうのではないか?最近特に、そんな風に考えずにはいられないでいる。

肉用鶏の屋内飼育例。
もし野菜生産の工場・工業化を否定するなら、酪農や畜産の現実が是となるはずがない。
img by Larry Rana (USDA) [Public domain], via Wikimedia Commons


 僕は子どもの頃から資本主義社会に漠然たる違和感や恐怖、気味の悪さを感じていた。そして大人になっていくにつれ、生物多様性貢献に関わりの深い仕事をしていくにつれ、コンクリートに埋め尽くされた邪悪な都会を離れ、緑豊かで広大なここ北海道に移住し、一次産業の仕事に就き理解が深まるにつれ、保護主義に向かうアメリカをはじめ、EU、北欧、先進国など昨今のいろいろな世界情勢を俯瞰するにつれ、じわじわと確信に近づいている感情・感覚がある。


もう、資本主義社会に明るい未来はない。


 マルクスにはちょっと違和感がある。だけど、"資本主義はその成功ゆえに自壊する"と予見したシュンペーターを、僕は今とても支持している。それは、強力な繁殖力とアレロパシーによって自家中毒に陥るセイタカアワダチソウのような植物や、(理由は未だ明らかではないが)集団自殺のような行動に走る動物たちなどの自然現象に例えることができると思う。自然は「完璧な均衡」で成り立っている。どこかが凸(とが)れば、その向こうはかならず凹む。逆も然り。それは物理的にも論理的にも同じではないか?結局は球体に落ち着き、安定する。だが今、資本主義社会というサッカーボールはいよいよボロボロになり、「はるか昔から」あちこちに空いていた無数の小さな穴から、ついにブシューと音を立ててパンクが始まった。次に大きく蹴られたとき、完全に破裂するだろう。
 もちろん生産性や効率性の促進、そして技術革新など、資本主義には、資本主義だったからこそ、獲得できた物事がたくさんある。明らかに資本主義は人間の知能を向上させ、深化させた。それはまさに「人間の進化」そのものだと思う。だがしかし、この地球上で、人間の文化や営みだけが、まだまだ発展途上・過度期、進化の中途で、全く完成されていない。なぜなら人間は、この地球上の生きものたちのなかでつい最近生まれたばかりの種、一番下の「若造」で、唯一未熟で愚かな末弟だからだ。だから、資本主義というイデオロギーやミームは、人間の進化におけるある一時代のパラダイムに過ぎないし、必然の通過点なのであろう。


 良くも悪くも、人間はその(ある意味で)高度な知能ゆえ、「型」がなければまとまることができない。そして、パラダイムや資産(幻想)を固定しようとする。「幸せ(貨幣)を無限化しよう!」という大号令のもと、資本主義という竃は日々拡張され、補強され、そしてその都度最大火力で燃焼された。竃の上には美味しいご馳走ができ、そして竃の中は燃えかすだけになったーーーブルジョワジーの衰退・貧富の二極化だ(竃に火を焼べていたのは他ならぬ我々だ!)。そして、竃はもうボロボロだ。結局のところ、まさに僕ら自身が生み出した資本主義の権化たちーーーほんの一握りの億万長者と、GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)が完全支配する世界で、「競争が働いている」などもはや戯言にすぎない。資本主義の原則であるはずの「儲ける」、資本を無限に増殖させる・させたいというモチベーション(歯車)が、もう回らない世の中になってきた。油を差したって無駄だ。歯車自体がもうひどく擦り減ってしまったからだ。もうみんな疲れ果てている。社会(資本)主義を欲している。この残酷で不公平な資本主義の牢獄からの脱出を熱望している。事実、AIの進化ーーーシンギュラリティーーーに突き進んでいる現在の世界じゅうの技術情勢・志向性が、それらを如実に表している。つまり、AIによる支配を望んでいると言ったら言い過ぎになるが、明らかに人々は「平等」を望んでいるのだ。それが今ーーー資本主義の終わりの始まりーーーだ。そして資本主義世界が崩壊した次は、人とAIが共同(協働)管理する「ほどよく平等な」社会資本主義世界に移行するのだろう。そして、さらにその先、究極には、AIによってAIへ統合され、完全ロボット化した人間の共産世界となるのだろうか?


 社会資本主義〜社会主義までは許せるし、すでに破綻している資本主義社会から早いとこ遷移していって欲しい。だけど、共産社会だけは嫌だ。恐ろしくてたまらない。完全平等になるということは、感情や自我が完全に消滅するということだ。そんな存在になるくらいなら、碌でもなく、しょうもない、くそったれな人間のままの方がいい。


"THE ONLY CONSTANT IS CHANGE."
Heraclitus
2017/11 宗谷丘陵にて。
そして、さらに思う。草木や花、極限環境微生物、微生物、魚や虫や鳥や爬虫類や両生類、そして哺乳類ーーー僕らと一緒にこの地球に暮らす、はるかに歳上で、偉大な兄たち【すべての生きもの=祖先】がしてきてくれたこと(そのおかげで今、僕ら人間という種が存在している。)と同じように、人間も生存と繁栄、遺伝子の継承、種の進化を未来へと連綿と繋げていくことを求めていくのであれば、人間は海や空などの陸外、そして宇宙を・地球の外を目指していくことに全生命を賭していくべきだと。なぜならば、人間には不可能などないし、だからこそ宇宙に出て行くのは生命の本能が導く必定だからだ(地球の人口はすでにパンク寸前だ。)。さもなければ、いずれヒト属(ホモ)は進化の失敗ーーー【絶滅】となるだろう(気候変動を発端とする昨今ますます顕著になってきている地球環境変化に対する人間の生態的・文化的適応の遅れを、僕はハッキリと感じているし、対応も全く根本的ではなく、付け焼き刃・その場しのぎ的だと思っている。)。つまりは、系統樹の僕らの枝の先が伸びたり、ましてや分枝することもない。そう、、、(現在知り得ている限り)ヒト属はもう、我々ホモ・サピエンス・サピエンスだけしかいない。太古から果てしない試行錯誤を重ね、脈々と進化してきたヒト属の未来は、他でもない我々に託されているのだ。ならば、僕らはこれからどう生きていくべきなのだろう?


 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは言った。
"THE ONLY CONSTANT IS CHANGE. この世で唯一不変のものは、変化するということだけ。"
"EVERYTHING FLOWS. 万物は流転する。"
"NO ONE EVER STEPS IN THE SAME RIVER TWICE. 同じ川に二度入ることはできない。"
(アウトドアブランド"patagonia"のブログ(日本語英語)からも引用)


 パラダイムは急激には変わらない。でも、絶えず変化している。種の進化がそうであるように、果てしない時空をかけてゆっくりと「シフト」していく。でも、突然変異のようにある日突然「CHANGE」することもあるのかもしれない。"諸行無常"。それがあまねくすべての真理だ。今、僕にはこれらの言葉が深く刻まれている。


 どんなに時代が変わったって、農薬なんて使わず、お天道様のもと、四季のうつろいを感じながら、汗をかきながら土を耕す。それが一番健全で、清々しく、一番素晴らしいに決まってる。だけど遥か未来、もしかしたらそんなパラダイムや感覚や感情は、人々から無くなっているのかもしれないと想像する(できている)自分がいる。でもやっぱり「それだけは有り得ない!」と、パラダイムに固執し、"THE ONLY CONSTANT IS CHANGE."に抵抗している自分もいる。本当のところ、一瞬先の未来ですら、誰も・何もかもどうなるかわからない。そして、ほんの一瞬前ですら、戻ることができない過去となる。時はどこから来て、どこに向かっているのだろう。すべては"THE ONLY CONSTANT IS CHANGE."、そして"諸行無常"に帰結する。もうそろそろ本当に、明確な変化の時だ。その先にこそ、希望があると信じている。



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1月1日夕方、丸山公園にて。
 そう、だから僕はここに、北海道に来たのだ。半年ほど前にヘラクレイトスのこれらの言葉を初めて知り、そこから"諸行無常"という真理を改めて思い出し、それ以来ずっと散らかっていたいろんな思考たちが、2018/1/3 BS1放送「欲望の資本主義2018〜闇の力が目覚める時・ルールが変わる時」にインスピレーションを得てようやくリンクし、この文章を書ききることができた。やっと新年を迎えられた気分だ。ヨーゼフ・シュンペーターにレイ・カーツワイル(!)の「The Singularity Is Near」、経済学のダニエル・コーエン、トーマス・セドラチェク、哲学のマルクス・ガブリエル、、、読書が大の苦手なくせに、読みたい本がどんどん増えていく、、、(汗)。あけましておめでとう・今年もよろしくお願いします。2018年。



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 この文章を初公開してから4日たった今(1月12日)になっても、何度も読み返しては細かい訂正や追加などを繰り返している。北海道にやってきてから始めたこのブログももうすぐ丸3年。そのなかで一番の大作・納得のいく文章が書けたと思う。でも、まだ書き足りない!だから、あとがきにもう少し書き足しておきたい。

 この3年、農業王国であるここ北海道で一次産業の世界や現実を間近に「実感」し、そこに小さい頃から忌み嫌っていた資本主義や、大好きな自然や生きものたちや野菜作りへの思いなどがリンクし、混ざり合いながら、僕の人間社会のあり方についての考えが、だんだん変わってきた。当初僕は、人間のあらゆる活動に対して人口抑制など様々な「制約」を設け、人間は「この地球だけに」未来永劫暮らしていくべきだと考えていた。火星や月に移住?馬鹿げている!などと。でも、果たして本当にそうなのだろうか?

 小さい頃ーーーアナログのテレビに繋げたファミコンに、ふーふーと息を吹きかけたカセットを差し込み、8ビットのゲームを夢中になって遊んでいた頃、あるいは、お気に入りの曲たちを苦労して「ダビング」したカセットテープをラジカセにセットし、「巻き戻しボタン」を細かく止めてはギターリフの「耳コピ」に明け暮れていた頃ーーー現在のこの技術革新の状況など、果たしてどれだけの人が予想できただろう?人間には、、、いや、人間だけじゃない。草木も、微生物も、虫も、魚も、鳥も、動物も、生命には「進化」という無限の可能性がある。もしかしたらはるか遠い未来、二足歩行するトカゲや犬、カリン様のような猫、言語を操る虫や、海上に進出しプカプカ浮きながら暮らす木や草がいるかもしれない。そして、海の中に進出したり、ウィングスーツのように身体の部位や器官が発達したり、核融合技術をついに確立させ、およそ無尽蔵のエネルギーを獲得し、スターウォーズのミレニアムファルコン号よろしくハイパードライブを駆使し、宇宙を駆け巡る「進化・分化した人間たち」が、本当にいるのかもしれない。そのためには、人間のいろいろな活動を抑制・制限してしまったらダメだ。「本当は出来るのに、出来ないようにしてしまう」のは、進化を、無限の可能性を止めてしまうということだ。それは「種の総自殺」に等しいと思う。そうではなく、人間はその持っている知能や能力を、思う存分開放し、大いに発揮すべきだ。そして、そのためにこそ、進化を、無限の可能性を探求していくためにこそ、僕ら人間は、持続可能な地球環境を維持・そして回復させていかなければならない「責任と義務」があるのだ。なぜなら今、僕らが生存できる星はただひとつ、この地球しかないという「抗いようのない事実」「明快な根拠」がある。そして、持続可能な地球環境を維持し、回復させていくためには、人間が、つまるところ「多様性豊かな生命」がずっと暮らしていける環境が整っていなければならない。それになによりも、この地球を散らかしたい放題してしまった人間には、それを片付ける・元に戻す道義的責任がある。それに、、、遠い未来、どこかの惑星から久しぶりに帰ってくる「愛する故郷の星」があってほしいから。ーーーそのためには、やはり我々現代人は、資本主義と資本主義によって支配されている現代の(悪魔的・麻薬的とも言える)パラダイムやミームから決別し、そして「新しいパラダイム・ミーム」に「脱皮」しなくてはならない。資本主義の支配下のままで、持続可能な地球環境の実現があり得るだろうか?答えは「完全なるNO」だ。(セヴァン・スズキの「伝説のスピーチ」からすでに25年も経過している。その間、テクノロジーは大いに飛躍したが「それ以外」はどうだろう?ほとんど進歩していないのではないだろうか?そしてその原因はもうハッキリしているだろう?一体いつになったら人間はそれを認めるのだろうか?)

 「人間がいる限り地球は滅びる」「人間は早く絶滅したほうが地球のためだ」ーーー地球の環境問題などを憂いてする、その手の自分勝手でデタラメで、無責任な自己断罪はもうおしまいにしよう。これはそんなスカしたメランコリーやセンチメンタルを気取った理屈じゃない。「地球や生きものたちがかわいそう」などという同じく自分勝手で、差別的(!!)感情論やナルシシズム的発想でもない。人間が持続可能な地球環境を維持・回復していかなければならない・していくための、全人類的な「合理にかなう正当な動機・理論」だと思う。そして、我ながらそうなってほしいと願わずにはいられない。

 ーーー空想モード全開になってしまったが、北海道にきて僕の"THE ONLY CONSTANT IS CHANGE."、"諸行無常"も、一歩ずつ、着実に、高みへ進めていると思うのである。