「なき王女のためのパヴァーヌ」を聴きながら
長い冬を終え、北海道に、美瑛に、今年もまた春がやってきた。根雪が融け、フキノトウが次々と目覚めはじめた。シジュウカラも戻ってきて、カワラヒワやヤマゲラ、ゴジュウカラ、トビも賑やかになってきた。ヒバリやホオジロ、ニュウナイスズメも鳴きはじめている。時折、北に帰っていくオオハクチョウたちが空を横切っていく。ヤナギがいち早く芽吹き、フクジュソウを先頭にエゾエンゴサクやカタクリ──スプリング・エフェメラル──も、目覚めはじめるころだ。農家さんでは、畑やハウスなどですでに着々と今シーズンの仕事がはじまっている。GWやその先の夏に向け、ペンションなどの宿や観光業などもぼちぼち本格的に始動するはずだ。まだ冠雪の残る、雄大な十勝岳連峰に見守られながら────。あの日──フェリーに乗り込み、北海道・美瑛に移住してきて、ついに──という言葉を使うのは何か気に食わないが──丸3年を迎えた。丸2年のときも感じたことだが、もっと長く暮らしているような気がしている。
美瑛が好きだ。この町が好きだ。そして、北海道が好きだ。年月が過ぎるたびに、いや、一日一日が過ぎていくごとに、この土地が好きになっていく。この土地を愛しはじめるようになってきたと、言えることができはじめていると思う。静かで、やさしく、のどかな、北海道のこの小さな町で、ずっと暮らしていけたなら、ほんとうにいいと思う。
だけど────
“「敗北」という字がある。これは「北に逃げる」と書く、、、” 僕が北海道に発つすこし前だっただろうか、あるテレビ番組で倉本聰さんが話していた言葉だ。本来の意味の傍ら、氏の叙情や感性から滲み出た物語的な考えだと僕は勝手に解釈しているが、この言葉に僕はハッとさせられた。そう、、、北海道とはそういう土地なのだ。少なくとも僕は昔から、それこそ「北の国から」をリアルタイムで観ていた当時から、そういうイメージを北海道にずっと持っていたし、そういう性質・側面を持った土地・そういう人が引き寄せられる土地だということを、何かしらの「フラグの立った人」が辿り着く土地だということを、この3年の暮らしで「実感として」リアルに感じている。もちろん、開拓時代の頃から代々北海道に住んでいる人々がたくさんいるなかで、ということは付け加えておきたい(しかし、そういう入植の歴史とて、幾許かの憂いを帯びた性質を、北海道という地は持っているが、、、)。
倉本聰さんの話には続きがある。“僕は東京で負けたんですよ。東京で敗北し、それで北海道にやってきた。最初の1年は、自分は北海道に試されていると思った。「お前はこの厳しく広大な大自然の土地でやっていけるのか?」と──”、、、僕もある意味で「都会に負けた」。正確に言うと「僕は都会にフィットしなかった、できなかった、そもそも本当はしたくなかった。都会が嫌で嫌でしょうがなかった。そしてしようと思わなくなり、そしてするのをやめた」。それらは、そうなることは、僕が子どものときから、自分自身に潜在的に気づいていたし、わかっていたことだ。そして、長い計画の末、ついに僕は実行した。“東京はもう卒業”──「北の国から」で、タマ子が、そして純が言っていた。僕も「都会を卒業」し、北海道にやってきたのだ。そして3年──北海道は僕を認めてくれた。僕自身も認めた。今ではもう、北海道は、十勝岳連峰の山々は、僕の肩を力強く、そして優しく抱いてくれている。
だけど──はるか昔から──僕には、僕自身を北海道に向かわせる・北海道が僕を吸い寄せる「いくつかのフラグ」が立っていた。そしてその「いくつかのフラグ」たちは、北海道に暮らしはじめてからも、一向に消えることはなかった──消えると思っていたのに。消えてほしいと願っていたのに──し、むしろ、より色彩を、輪郭を、存在感を増して、高く掲げられるようになったのである。しかし、不意に────
すべての霧が晴れ
すべての憎しみが浄化されて
そして
すべての受容と
すべての赦しのときが訪れて
あの日が訪れ────あの日が過ぎてから、ふと────、僕の「いくつかのフラグ」たちはすべて、風に運ばれ、遠い空の彼方に消え去っていた────
そうしたら──なんということだろう──どういうわけか、自然と、そして明らかに、僕の気持ちが【もうひとつの、あの地】に向かいはじめているではないか、、、!僕の心に、全く予期しなかった動きが起こった、、、いや、「起こってしまった」ともはや言うべきだろう。なぜなら、移住まもなく丸2年を迎える2016年末に、「僕の苗木」はもう、ポットから大地に──この地に──すでに根を張らせはじめたからだ。その苗木を、僕はまた、、、ポットに戻そうというのか!?正直いって、今回ばかりはかなり自分自身に戸惑っている。自分に対し、「どうしてこんなことになってしまったのか!」と嘆く気持ちも混じっている。やっぱり僕は放浪者・ホーボー──風のエレメント──なのだろうか──。初夏の空に漂うタンポポの綿毛のように、風に吹かれるがままの運命なのだろうか。しかし、そんな綿毛もいつかは、大地に辿り着く。僕は実のところはまだ、空を彷徨いつづけている最中なのだろうか?いつかどこかへ漂着し、根を張ることを願いながら────
しかし、はっきりしていることがある。「それならそれでいい」と。「もしその気持ちが「本物」なら、望むところだ」という、はっきりとした、「清々しさに満ちた意志」が、今の僕にはある。それは、北海道への移住を果たし、この地で丸3年──石の上にも三年(この言葉を使うのも気に食わない!)──を過ごした経験による自信・自負と、そしてすべてが、、、本当にすべてが────浄化され、赦しのときをむかえたからだ。ついに、本当の本当に、【本当の意味】で、「僕はもう、どこへだっていける。」。
しかし、【もうひとつの、あの地】を記すことは、まだやめておこう。まだ、記したくない。ウィンストン・スミスの<思考犯罪>は、日記をはじめたことで「かたち」となった。マザーテレサは言った。“思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。────” 僕も、「想うことを記す」ということがどういうことなのか、少なくとも自分自身にとってそれが「どういう意味を持つのか」解っている。
定植した「僕の苗木」の梢が、にわかに二股になりはじめてきた。まだどっちが幹で、どっちが枝なのか、よくわからない。北海道の広く、どこまでもまっすぐな道路の逃げ水の向こうに、ぼんやりと──信号機と二叉路がみえてきた。僕のこの心の胎動がどうなっていくのか、この1年──これから、と言った方が適切なのかもしれない──じっくりみていくことにする。
何者にでもなれる。でも、何者かにしかなれない。まだ────、、、まだ、僕の旅はつづく。
*
「ついに」という言葉も、「石の上にも三年」という言葉も気に食わない。その理由はハッキリとわかっている。昨年の今頃、北海道移住が丸2年になったあの頃からすでに、僕自身に「移住者」という感覚はなくなっていた。もう「よそ者」ではないという自覚が自然と芽生えていたからだ。「ついに」?「石の上にも三年」?何を今更!という感覚なのだ。もう僕は、1年前からとっくに移住者の気持ちではない。そして、「僕の苗木」のように、僕はすでに、この地に根を張りはじめている。だから、自分に対しての「移住者」という表現や捉え方は、もうやめる。実際に、自分のことを移住者と捉える自分自身の意識には、1年前くらいからうんざりしているのだ。
“The Truth Will Always Be”────いじけず真っ直ぐに、立派に育つ木もあれば、文字どおり紆余曲折を経てなお、くじけずに生きる木もある。どちらの生き方も一生懸命で、そして素晴らしい。そう信じている。これからどういうことになろうと、これら僕自身の今ここにある「確かな気持ち」を、なによりも大切にしたいと思う。だから、ここに書き留めておく。僕自身のために。
春、美瑛駅正面の丸山通りから真っ直ぐに見える、まだ雪の残る十勝岳。 出かける時や仕事の帰りなんかにいつも、何気なく眺めるこの景色── この景色が大好きだ。 |