平成30年 北海道胆振東部地震 発生 〜東日本大震災当時への回想〜

9/6朝、ヤフーの地震情報のスクリーンショット。この時点では6強と発表されていた。


※本投稿は、2018/12/6に執筆


 2018年(平成30年)9月6日3時8分ごろ、胆振地方で最大震度7(※当初は震度6強と発表)の地震発生。美瑛町は震度3だが、北電の火力発電所が停止しているため、現在全道的に停電しているようだ。揺れに気づき目が覚め、揺れ方がちょっと浮きながら横軸に動く感じがしたので「アレ?ちょっと普通と違うかな?」と寝ぼけ頭で思ったものの、そのまま再び眠ってしまった。そして、朝起きてヤフーニュースを見てビックリ、、、!東日本大震災以降、日頃からある程度の備えはしているのだが、まさか北海道で震度7が発生するとは、、、自分としてはかなり想定外だった。それにしても、震源地ほぼ真上の厚真町・安平町周辺などはまさに活断層のほぼ真上。気候変動もさることながら、地殻変動も近年活発になってきている。そんな気がしてならない。

 午前中に町を少し歩いてみたが、自販機も信号機もおそらく町内すべてで電気網が停止している。東日本大震災のときに思い知らされたけど────




 東日本大震災が発生したあの日のことを、今もハッキリ覚えているし、僕は一生忘れないだろう。

 最初の揺れが起こったとき、僕はひとり、5階建ての雑居ビルの4階への小さなエレベーターを、ちょうど降りたところだった(あと10秒遅かったら、おそらく僕はエレベーターに閉じ込められていた、、、!!)。現代人にもまだ眠っている野生の直感・生存本能が覚醒・起動したとでもいうのだろうか、最初の、ただの大きな揺れではない「何か」を感じた瞬間、僕はエレベーターのすぐ傍らにある階段を全力で駆け降りていた。そして気がつけば、すぐ近くにある河川敷堤防の天端にたどり着いていた(こういう非常時に、無意識にまず開けた場所に向かうというのも、生存本能のひとつだろう)。そこにはすでに大勢の人々がいて、大小の揺れが続くこのただごとではない状況に、みなそれぞれに寄りかたまって戦々恐々としていた。見知らぬ人どうしが話し合っている(僕も自然とそうしていた。これも人間の本能・本性だろう)。少し時間がたち気分が落ち着いたものの、僕はまだほとんど戦慄していた。天端のその場でしゃがみこんでしまっていて、少し震えていた(その後しばらく、確かひと月ほどは地震酔いが続いたと思う。地震酔いという症状があるということも、東日本大震災ではじめて知ったものだ。)。───とても怖かった。そして、今この瞬間、まさに自分は、僕という存在は、この地球上に、自然界のなかに生きている、生かされている、虫や、鳥や、動物たちと等しい、ほんの些細な1つの動物個体に過ぎないという実感を、強烈に感じてもいた。僕らは人間の世界に生きているのではない。あらゆる生命は、この地球という星に「平等に生かされている」。人間の世界は自然界のただなかに「構築」されていて、その自然界は地球という惑星、そして地球が属する太陽系と宇宙があって成立・存在している。まぎれもなく僕ら人間も、自然の、地球生態系の、言うなれば、森羅万象の一部なのだ。

 夜になり、真っ暗闇になった街。電気も、ガスも、水道も止まり、コンビニや商店には飲み物や食べ物を求める人々が長蛇の列をなしている。しかしコンビニのレジは動かない。POSレジを使用していない、「古き良き」一部の小さな商店だけは、どうやらうまく客を捌けているようだ。たくさんの車が停まっているコインパーキングでは、電気が止まっているためロック板が降ろせず、車が出せない。車の持ち主が、携帯電話に向かってどなりちらしている声が聞こえてくる。管理会社の担当者に向かって理不尽なことをまくしたてているようだ。一台の車が、ロック板に強引に乗り上げ、パーキングから無賃で出て行くのを見た。毎日毎日満員電車に揺られ通勤する都会では、電車の運行が完全にストップし、大勢の人々が駅で立ち往生し、タクシー乗り場には隙間もないほどの──乗れるはずもないのに──人々でごった返している。覚悟を決めたであろう人々は、徒歩での帰宅を目指し、真っ暗闇の何10kmものコンクリートジャングルを、砂利道ひとつない舗装された道路を、コンクリートとアスファルトでびっしりと敷き詰められた「人工の世界」を、スーツとビジネスシューズで歩いていく───。



現代文明がなんと脆弱で、軟弱で、いびつで、滑稽なことか。
この日、僕はそれを、心の底から思い知った。
人間の想定をはるかに超える、とてつもない天変地異がいつか起こったとき、都会が、現代社会がどういうことになるか、僕が想像していた混乱が、現実に、僕の目の前で、そのとおりに起こっていた。


 あの日、いや、少し日が経ち落ち着いてからだろうか、それより3年ほど以前からついに心を決め──夢から「目標」に変わり──、具体的に計画を進めていた田舎への移住への決意が、あの震災によって新たなものに、より強固なものとなった。子どもの頃から僕の素質、心のなかに常にあり、いつも潜在的に夢見ていた、田舎でのパーマカルチャーに根ざした暮らし・スローライフ。ナウシカたちのいる風の谷。パズーのいる小さな炭鉱の町。シータのいる北国の高原の小さな村。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーや、中世を舞台にした映画などに出てくるような、魔法の国そんな世界での、静かで、慎ましく、穏やかな暮らし、、、。それを「絶対に叶える」という僕の決心が、東日本大震災によって、完全に揺るぎないものとなった。そして、東日本大震災は、日本国はもちろん、全世界の人々のパラダイムがまさに一段階シフトした出来事・トリガーだったのではないだろうか。




────、改めて、現代文明とそのシステムは脆弱だ。自然の撹乱にすこぶる弱い。虫や、鳥や、動植物たちは──僕らの兄たちは──平然としている。人間はいまだに、甚だ未熟だ。“2足す2は4”どころか、5にも、6にも、7にすらも到達していない。でも、、、でも。やはり僕は、僕も、その現代社会で暮らしている一人なのだ。疑いようもなく、れっきとした、この狂った、未熟な現代社会の一員なのである。そして、なんだかんだ言いつつも、この現代社会を頼りにしてもいるのである。だからこそ、僕には、僕らには、声を挙げ、行動し、より良くできる物事がたくさんあると思うのだ。疑わしく、如何わしい既成概念や慣習、パラダイムを見直し、改め、脱却し、地球やいきものたち(兄弟たち)とともに生きていく明るい未来に、進化していくのだ。




9/6午前中の美瑛町役場前交差点。車の信号も、横断歩道の信号も止まっている。