THE ONLY CONSTANT IS CHANGE.3: 選択を変え、世界を変える。



 資本主義の牢獄に囚われた、かわいくて、かわいそうな牛たち。家畜たち。資本主義は命を浪費している。飽食している。食べ物を、命を、とても粗末に扱っている。資本主義が流布する狂気のプロパガンダによって、「真実」が優しいオブラートに包まれ、聞こえのいい言葉やイメージにすり替えられ、そして隠蔽される。真実を知らず、知ろうともせず、知っていながら、机の上で、コンクリートジャングルのなかで、命について偉そうに講釈を垂れている、生ぬるく、軟弱で、脆弱で、「アタマだけのいい」都会の人々よ。そういう言葉は、口先だけではなく、「実感を伴ったうえで」口にするといい。「命の現場」に実際に関わってから語るといい。いきものや家畜たちに過酷な生を強いている原因は、他ならぬあなたたちの欲望と、傲慢と、無知によるものだ。いつまでたっても、いきものや家畜たちに優しい人間社会にならないのは、そして「持たざる者」たちに過酷な人生を強いているのは、マネーゲームに明け暮れている、ビッグ・ブラザーの虜になっている、他ならぬあなたたちのせいなのだ。あなたたちが中心となって変わらなければ、世界は変わらないのだ。あなたたちが中心となって変われば、世界は変わるのだ!!


 約1万年前、人類による農耕が始まって以来、家畜たちは急速にその個体数を増やして(増やされて)いった。当然だ。それを喰らう人間の個体数も爆発的に・指数関数的に増えていったのだから。家畜たちにしてみれば、遺伝子の継承そして種の存続には大成功したと言えるだろう(遺伝子の継承については、例えば牛たちは人工受精により、継承する遺伝子を人間によって選別されている。したがって遺伝子の多様性そして種としての生命力は、「オリジナル」から著しく低下し、そして遠くなってしまったと言えるだろう。)。しかし、彼らはそれでしあわせなのだろうか?──────



 牛は紀元前6000年頃、つまり約8000年前に家畜化されていったという。現在、人間によって、ほとんどの肉牛は狭い畜舎に生活させられ、除角や去勢をさせられ、肥えさせられ───メタボにさせられ───ている。つまり、現代において牛たちは「一個体残らず」人間の管理下・人工の環境で一生を送らざるをえない状況にいる。
 例えば除角について言えば、家畜化が約8000年も経ち、現代においては大多数の個体がツノを切除されることが確実なのにもかかわらず、彼らは未だ「ツノを生やす」という生態を維持している。これは、現代において、人間によってほぼ強制させられている・余儀なくされている人工空間での生活や生態への適応を、種レベルで拒んでいるからではないだろうか?そしていつか、人間の管理下から解放される・本来の自然環境下での生活・生態に戻る日───Independence Day───を見越しての、種レベルでの「適応拒絶をしている」、もしくは「本来の生態を頑なに維持している」ということなのではないだろうか?──────
 ある日、そんな仮説(空想)が浮かんだ。実際彼らの世話をし、間近に接していると、本当にそんな気がしてくるのである。そして、そうであってほしいと願わずにはいられない。



 例えばの話をしよう。あるかもしれない近い未来のディストピアの話を。
 もし、将来、地球の支配者が───実際は、単に我々がそう思っているだけなのかもしれないが。あるいは、細菌類や昆虫、あるいは草木たちが本当の支配者なのかもしれない。───我々人間からAIに取って代わっていたとしよう。我々人間が、この地球上の「二番手」になっていたとしよう(テクノロジーや資本主義、そして思考(脳)の進化・発展によって、人間は自らその地位を、AIに「必然的に」譲渡した。)。人間に代わり「裁定者」となったAIたちは、その活動を維持するために、人間の「脳」が必要だ。人間の脳を、ニューロンのI/Oを、その思考回路の装置・基盤として利用しているのだ。だから彼らは、この地球の頂点支配者でい続けるために、人間の脳を「確保・量産」し続けていかなければならない。いわば、「人間の脳がAIたちの食料となった」のだ。かくして人間は、「AIによって生きながらえさせられる存在・AIによって飼育される種」となった。産まれてすぐ、母親から引き離され、一人残らずナンバリングされる。母親と父親がどこの誰なのか、知る術などあるはずもない(わずかに残っている直感と本能だけが頼りだ。)。食べるものや居住・活動スペースを制限され、常に監視される。もちろん生殖も管理される。「優れた脳」を持つ「優良な個体(♂)」は、「種付け親」として隔離され、命尽きるまで生殖活動をさせられる。遺伝子の多様性は恐るべきスピードで失われ、均一化が進み、種の抵抗力や免疫力、生命力そのものがみるみる弱まっていく。皆、次第に体格や容姿が画一化してくる。ひとたび伝染病が流行すると、(遺伝子の多様性が失われたため)おびただしい数の死者がでる。そのため、予防措置として、抗生物質やワクチンを投与される。「薬漬けにされる」。そして、、、脳機能がピークを迎える若い年齢の頃───本来は100歳までも生きられるはずなのに───、番号札をぶら下げた人間たちは、AIによって「出荷され」、処刑され、そして脳を回収される──────。人間はAIの家畜となったのだ!そう、ちょうど現代の豚や、鶏や、牛たち、人間によって生命を管理されている家畜たちのように。人間に喰われる、利用されるだけの生命になってしまった彼らのように───。




 もし、そんな未来が本当にあったとしたら、我々人間はそれでいいのだろうか?それでしあわせなのだろうか?言うまでもないことだ!今日、我々は、我々の文明は、資本主義は!まさしくこれらの行為を家畜たちやいきものたちにしているのだ!そういう行為の上に、資本主義は、我々の今日の文明は、生活は、成立し得ているのだ!これは真実である!!もし、AIによって人間が飼育される、人間に待ち受けているこんな未来を「ディストピア」と感じるのならば、まさしく今我々人間は、牛たちや家畜たちに「ディストピア」を、地獄の一生を強いているのだ!!もし、この現実を仕方がないと許容するのなら、結局のところ、我々人間は嘘つき・差別主義者・偽善者ということになるのだ!地球に優しくとか、動物愛護とか、生物多様性とか、非道だとか、断罪とか、すべてが綺麗事となるのだ!すべてが偽善となるのだ!すべてが嘘となるのだ!!

 
 僕は原理主義者じゃない。原理主義者になどなりたくない。人間だって、生きていくために動物の肉や卵を喰らうことが必要だ───それを拒絶する生き方もあるが───。だが、資本主義はやりすぎなのだ。あまりにもやりすぎているのだ。あまりにも多くの命を奪っているのだ。いのちへの感謝や敬意を失っているのだ!もはや資本主義は、あまりにも勝手で、あまりにも残虐で、あまりに虚しく、そして無益なのだ。資本主義の上で語られる言葉など、すでに、もう、すべてが偽善となっているのだ。もう、誰もがわかっていることじゃないか、、、!!──────


 変わろう。そして変えていこう。僕は変えたい。変えていきたい。僕は、そのための力になりたい、、、!!


 変えていくために今できることは、僅かながらある。まずは何より、有機農畜産物を選ぶようにしたい。そして、商品に記載されている原材料など様々な情報や、「トレーサビリティ」を注視すること。現在日本では牛と米にトレーサビリティが義務づけられている。牛肉に関しては、商品ラベルに貼られている個体識別番号やロット番号から、様々な情報を追跡することができる。さすがに、その個体が放牧で育てられたのか、それとも畜舎に閉じ込めっぱなしで育てられたのかまでは分からないが(そういう情報まで追跡できるように、法律で義務づけるべきだ!我々の選択が変われば、世界はきっと、そのように変わっていくだろう。)、それでも、そういった情報に気を配る習慣をつけることによって、自身の意識を変えていくことはできる。その他、これも調べ上げるのは困難だが、豚肉や鶏肉に関しても、放牧や平飼いなどでストレスなく育てられたものを選びたい。卵も、平飼いの有精卵をぜひ選びたい。総じて、畜産物については、ぜひ「動物福祉(アニマルウェルフェア)」を重んじる牧場や企業が生産したものを選びたい。野菜や果物についても、雄性不稔のF1種ではなく、ぜひ「固定種」を選びたい(文化や種そのものの多様性に貢献できる。)。



 ちなみに、資本主義の下では、小さな町や農村で生産された野菜や畜産物が、地元のスーパーに並ばず、近隣や遠方の「都市」に行かなければ買えないという事態が「普通に」起こっている。外国産の農畜産物の方が国産のそれより安く買えるということも同様だ。TPP?EPA?ただただ、「お金を回転させるためだけのもの」だ。血の巡り(お金の流れ)の悪くなったカラダ(世界中の資本主義連合)に無理やり打つ、カンフル剤のようなものなのだ。つまり、資本主義はすでに末期の「病気」なのだ。そんなものを推進しておいて、地産地消など、資本主義の下で成立し得る合理がどこにあるのか。二枚舌・ダブルスタンダードもいいところだ。本当に馬鹿げている。テレビでは未だに経済学者や評論家たちが景気回復だの経済成長だのとほざいている。そんなものはもうとっくに終わっているのだ!!資本主義は異常であり、すでに飽和しており、もう「オワコン」なのだ。「アタマだけのいい人たち」だけが、未だに自分が幻を、資本主義という邪悪な「宗教」を崇拝・信奉していることに、気がついていない。、、、いいや。ただ「真実」から頑なに目を逸らしているだけなのか───。



 そして僕は、もっとたくさんの人に、農畜産業や漁業など一次産業に関わってほしい。もっとたくさんの人に、「僕らの血肉となる食べるもの」をつくっている「命の現場」の真実を知り、そしてなによりも「体感・実感」してほしい。アタマでわかっただけの理解と、実感をともなう理解とは、理解の深度が圧倒的に違うからだ。どんな人間活動であろうと、発展や進化であろうと、水や食べるものがなければ「何ひとつ」成し得やしない。僕らは機械でもロボットでもない。生命そのものなのだ。食べることは、生きることの根源なのだ。生命にはなによりもまず水と食べるものが必要で、だからこそ僕らは、もっと食べるものを大事にし、もっと注意を注ぎ、より健康で健全な農畜産物をつくっていかなくてはいけないのだ。僕はそう信じている。

 見た目のイメージや宣伝などに欺かれてはいけない。それは資本主義の常套手段であり、プロパガンダであり、罠だ。「良いものは(値段が)高い」のではない。「悪いものは安い」のだ(高いものにも安いものにも、必ず理由がある)!資本主義がすでに飽和・腐敗しきっている今日、僕らはもういい加減、そのように考え方を転換しなければいけない。我々の大多数が、安くて悪い肉を買い続けるのなら、家畜たちは引き続き、過酷な、「ディストピア」での一生を送ることになるだろう。(高いけど)良い肉を買う人々が(ニーズが)増えれば、放牧され、愛され、動物福祉に則った、のびのびと、安らかに暮らせる牧場で育てられた牛や家畜たちも増えていくことになるだろう。僕はそう信じている。因果応報、、、。今日、我々は、自身の無配慮で無頓着な選択(消費)によって、牛や家畜たちに過酷な一生を送らせ、苦しめているのと同じく、他ならぬ我々自身をも苦しめているのだ───毎日毎日ストレスにまみれ、来る日も来る日も「お金のために」働き続け、時間にも、精神的にも余裕が無く、添加物にまみれた「安い(悪い)食品」を食べ続ける人生が、「苦しい。辛い。」と言わずして何と言うのだ?───。今日の資本主義社会で一番力を持っているのは、政治家でも、一握りの億万長者でもない。我々一般の、一人一人の消費者なのだ。我々の選択が変わらなければ、世界は変わらないのだ。我々の選択が変われば、世界は変わるのだ。


 資本主義システムにおいては、消費が我々の選択であり、意思表示だ。我々の意思表示(選択・消費・パラダイム)が変われば、より良いものであれば、世界は必ず、より良くなるはずなのだ。より良い選択をすることで、世界を変えていくのだ。資本主義システムのパワーバランス・力学を変え、邪悪な資本主義から脱却し、社会資本主義へとパラダイムシフトするのだ!貨幣という絶対支配から、地球を、あまねく生命を、生きとし生けるものすべてを解放するのだ!!


 未だ資本主義の牢獄に囚われた、かわいくて、かわいそうな牛たちよ。家畜たちよ。いきものたちよ。ごめんなさい。そして、ありがとう───。僕は、できるだけの行動をもって、慈しみをもって、そして、より良い未来を信じ、願いながら───、君たちを愛し、君たちの生と死を、これからもみつめていこう。





お腹いっぱい食べて、ぐっすりお昼寝中の牛。とってもかわいい仔たち。
どんな夢をみているのだろう。しあわせな夢だといいな。きっと、、、。