「スローライフ * 北海道」探求の旅の終わりと、実践の旅のはじまりに向けて。

2019.4.28


 もう、このブログで語りたいこともなくなってきてしまった。その理由ははっきりとわかっている。

 そもそも僕は、このブログの説明にある「パーマカルチャーに根ざしながら、自然環境やいきものたちとともに穏やかに生きていきたい。」という志・目標を実現するため、2015年、北海道に移住した。そしてその旅立ちの日からその時々までの、僕の目指すスローライフ探求の旅のなかでの出来事や、模索や、なにより僕自身の心の動きや過去への追想を記録するために、このブログをはじめた。そして、丸4年の月日が流れた。この4年間、いろいろな出来事や、あらゆる試行錯誤、そして心の動きがあった───。
 そして今、僕の北海道での暮らしは、すでに普遍のものとなっている。慣れ親しんだものとなっている。かつて夢にまで憧れていた、広大で、雄大な、北海道の空は、大地は、丘陵は、風土は、文化は、人々は、いきものたちは───もう、僕の日常になっている。北海道はもう、僕の帰るところ───魂のふるさと───になっているのだ。
 そうなってくると、なにかあるたびに「ロマンチックモード」に入るための心のボタンをいちいち押す気にもならないし、押しても、なかなか効果が現れなくなってくるものだ。もちろん、ここ美瑛や北海道の、美しい風景にはいつも感動する。いつも感動している。だけど、僕のなかのその感動の池は、もういっぱいに水を湛えている。今ではたくさんの草花たちやいきものたちが、その池に暮らしている。そして、その源泉はもうずっと、止むことなく湧き続ける。───ちょうど今時期は、すっかり雪解けした丘陵に、昨年の秋蒔き小麦の緑がいっぱいにあらわれ、農家さんたちがぼちぼちと丘の畑をトラクターで耕起しはじめる。その後背では、まだ真っ白に雪を冠った雄大な十勝岳連峰がやさしく僕らを見渡している。春夏秋冬、美瑛そして北海道の風景は、いつも美しい───。でも、日常となってくると、言葉や表現なんて、いちいちいらなくなるものだ。、、、そういうものだろう?感謝してもしきれない母や父に向かって、顔を会わせるたびに「おお!母よ!父よ!」などと詩人モードになんてなってられない。それは野暮というものだ。

 というわけで、僕の北海道の暮らしがすでに日常となったことが、このブログで語りたいことがなくなってきてしまった理由のひとつだ。そして───もうひとつ、決定的な理由がある。このブログの目的のとおり、僕の新たなる決意を記録するために、僕自身のために、ここに記しておく。



パーマカルチャーに根ざしながら、自然環境やいきものたちとともに穏やかに生きていく。
僕のスローライフ実現のスタートラインが、もうかなり近くまで来ている。



 僕は、他でもない僕自身のために、このブログを綴っている。このインターネットの世界に、僕のスローライフをひけらかそう・つまびらかに晒そうなどと思ってブログを始め、続けてきたわけではないし、続けていく気もない。むしろ逆だ。僕は隠者になるために───そう、いきものたちや、草花や、自然がひろがる静かな土地で、穏やかに、隠遁の暮らしをおくるために、そして、静かな土地から世界を眺め、地球や宇宙、未来に想いを馳せ、哲学に耽るために───、その生活を手にいれるために、このブログを綴ってきたのだ───そう、このブログは、僕の旅立ちの日から、スローライフのスタート地点に辿り着くまでの・辿り着くための「ハートログ(心情の記録)」だったのだ。なぜ自分がこのブログを今まで続けてきたのか・続けてこれたのか───今になってようやく、それがわかった。───。だから、僕のスローライフをいよいよ始めるためのスタート地点がかなり近づいてきた今、このブログを続ける理由も、動機も、そろそろなくなろうとしている(実際、正直言ってこのブログになにかを投稿したいという意欲も湧かなくなっている。だから、僕の今の正直な心境をこの文章で書き始めたし、書き出したことでそれがなぜなのかハッキリわかった。)。「パーマカルチャーに根ざしながら、自然環境やいきものたちとともに穏やかに生きていきたい。その探求の旅の記録。」である「スローライフ * 北海道」という書物の編纂が終わり、新たなものを書きはじめる時が来ているのかもしれない。そんな気がしている。まあ、どうしたいかはこれからゆっくりと考えていけばいい。でも、僕は文章を書くことが───いや、文章や、音楽や、詩や、絵や、料理など「物質でないもの・形を留めないもの」を「創作する」ということが───やはりどうも好きらしいということも、この4年間で再確認できた。


2019.4.28 残雪の十勝岳と、丘と、トラクター


 そして、旅立ちの日から丸4年を経た今、僕が「僕のスローライフ実現のスタート地点」の近くまでたどり着くことができたのは、実際に北海道に暮らしてきたこの4年間で───とりわけこの1年間で───、実際にスローライフをスタートさせてからどうやっていくのか───つまり、実際にどうやって食っていくのか、生活していくのか、仕事やワークライフバランスなどの実質的な目処が立ったからだ。そしてそのスローライフで、自分が実質的にどうしていきたいのか、なにをライフワークとしていくのかも、輪郭のはっきりした、かなり明確なものとなった。そうだ───僕はもう、パーマカルチャーに根ざしながら、自然環境やいきものたちとともに穏やかに生きていくための「探求の旅を終え」、いよいよ「実践をはじめる段階」にまで来たのだ。
 だから、僕の幼い頃からここまで辿り着くまでのことも、今後の僕自身のためにも、今の時点で、ここに記しておきたいと思う。このブログ「スローライフ * 北海道」探求の旅の総括としても。そして、これからはじまる、僕のスローライフ実践の旅の初心表明としても。




 僕は幼い頃から、潜在的に、自然への憧憬をいつも心に抱いていた。同時に、コンクリートに囲まれた、人口(人工)密集地での暮らしに、いつも違和感と、自己の自然への憧憬との矛盾を感じていたのだとも思う。そんな毎日のなか、例えば本屋で、草木や蔦に覆われた古い建物の写真が一面に広がった本の表紙を眺めるたびに、あるいはドラクエやFFなどのテレビゲームや、漫画や、ジブリなどの映画でそのようなシーンをみるたびに、僕の心はいつもときめいていた。そして少年の頃になると、僕は音楽、ギターをはじめ、自分で漫画を描くようにもなった(もともと小さい頃から絵を描くのが好きだった。)。今思うと、多分僕は、そんなときめきをずっと心に留めておきたくて、自分なりに表現したくて、そして、「あの現実」から逃れたくて───そんな趣味を無意識に欲求し、そしてはじめたのだと思う。そういうものに心がときめくのは、植木屋を営み、いつも草木や土に触れていた祖父と祖母(そういえば、おじいちゃんは僕が小さい頃、ロバート・キンケイドが乗っていたようなボロいピックアップトラックに乗っていたっけ。いつも僕を助手席に乗せて、おもちゃ屋に連れていってくれた。)、バロック音楽の奏者である叔父(叔父の家は、それこそジブリの映画に出てくるような、中世ヨーロッパの家のようだった。遠慮がちにしていたが、実は僕は叔父の家が大好きで、いつも行くのが待ち遠しかった。)、そして旅行好きで、屋根裏部屋のような、壁が斜めになっている階段下の狭くて薄暗い「魔女の部屋のような」部屋で寝起きしていた祖母の生活を、幼い頃から見て、触れてきたからなのだと思う。そんな幼少時代を経て、コンクリートジャングルでの僕の生活は30代中盤まで続いた。転機が訪れたのはその頃だった。都市とベッドタウンを毎日、ぎゅうぎゅう詰め&万年渋滞でまったく進まないバスと、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られながら往復し、職場ではパソコンとにらめっこする窮屈で歪んだ、不健康な暮らしに、いよいよ僕の心と身体が本気で危険を感じはじめたからなのかもしれない。ある日僕は突然思い立って、農業のボランティアに参加するようになった。ボランティアはとても楽しく、いつも嬉々として参加した。そしてその経験を家に持ち帰っては、同時期に始めた家庭菜園での野菜作りに反映させたものだ。

 その農業ボランティアが、もしかしたら「運命のトリガー」となったのかもしれない───そしてその「運命のトリガーのトリガー」が、祖父や祖母、叔父の影響や、幼い頃からの体験や心情であったことは間違いない───。その後間もなく、どういう巡り合わせか、僕は生態系保全・生物多様性貢献やエコツーリズム推進を事業とするNPOで働くことになった。そこはまさしく、僕が潜在的に憧れていた世界・職場・職業だった。その仕事はとてもハードだったが、毎日エキサイティングで、新鮮で、感動と刺激に満ち溢れていた。そして───その職場で、僕にとって決定的な───その後の僕の人生を決定づけたとまで言っても過言ではない───出会いがあった。そのNPOの代表を務める、生態学の先生との出会いだ。先生は、僕が幼い頃から心の奥に秘めていた地球環境や自然・いきものたちへの愛、まなざし、センス・オブ・ワンダーの潜在力を覚醒・開花させてくれた。そして、それまでどうしたらいいか見当もつかなかった、地球や自然、自然現象の読み方や接し方、あるいは利活用など、自然環境に対するあらゆる実践的な知恵と技術を僕に教えてくださった。───僕がその先生から受けた影響は、あまりにも、とてつもなく大きい。先生と出会う数年前から、僕のスローライフ実現プロジェクトを始めていたのは確かだが、先生との出会いと学びが、そのプロジェクト推進を一層後押しし、その推進の意思がより強靭なものとなったのは間違いない。そして───僕は北海道に旅立った。

 北海道へと渡ったあと、僕はほとんど農業の仕事をしたし、今もしている。農業は楽しい。僕は農業の仕事がとても好きだ。一時、環境保全やエコツーリズムの仕事への復帰の道も模索したが、やめた。もともと僕は人間が嫌いで、人と接するのがあまり好きじゃないからだ。一人で静かに、ギターを爪弾いたり、物書きをしたり、土いじりをしたり、物想いに耽っているほうが好きなのだ。僕はぼっちが好きなのだ。雄大な大自然が広がる、人の少ない北海道の田舎町で、農業の仕事をしているたびに、僕はそれをつくづく再確認した。「ここが僕の居場所だ」「僕はついに、自分の生きるべき土地に辿り着いた」と。自分一人や、あるいは出面さんたちなど、田舎の心優しい人たちと大地に這いつくばって草取りをしたり、トラクターや機械を乗り回す。一人ぼっちで風の音を聴きながら、畦の見回りをしたり、アマガエルや虫や草花を愛でたりする。農作業の時間は、哲学の時間。哲学を深めていくのにちょうどいい。───ああ、そうさ。僕はそんな時間が、いつもいつも、愛おしい。大空の下で、大地の上で、静かに、穏やかに、自然やいきものたちに囲まれながら、命の源である食べものをつくる。こんなに素晴らしくて、楽しくて、美しくて、尊くて、最高の仕事、ほかにあるわけないじゃないか───。
 そして、先生から学び、教わった、生態系や生物多様性貢献への知恵と思考と技術。それらを取り入れ、応用した農業の模索と実践をすすめる。───僕のビジョンは完璧なものに育った。はずだった。


───そう、間違いなく、完璧だと思っていた。───


 しかし、完璧だったはずの僕のビジョンは、この半年で大きく揺らいだ。畜産動物───肉用牛───たちとの出会いで。僕はこの半年ほど、肉牛の牧場で働いていたが、そこで僕は、とても大きなショックを受けることになった。

 牛たちなど、畜産動物たちはみんなとてもかわいい。みんなそれぞれ個性があり、性格も違う。ジャージー牛はウザくなるくらいに好奇心旺盛で、人懐っこい。和牛たちは好奇心は強いけど、ちょっと人見知り。だけど、中にはとっても懐いてくる仔もいる。そんな仔たちの頭や喉、背中など、舌や脚の届かないところを掻いてあげると、とっても気持ちよさそうにする。牛舎の床が新しくなれば、みんな大はしゃぎして、跳ね回って喜ぶ。餌台や水飲み場の掃除をしていると、頭を擦り寄せたり、僕をベロンベロンに舐めまわしてくる。この地球に暮らす、他のいきものたちと何も変わらない。みんな生きることや感情に正直で、素直で、純粋なのだ。牛たちはみんな優しくて、穏やかで、とっても愛らしい。しかし───、この、僕らが暮らす───僕らが稼働させている───資本主義の世界は、特に、畜産動物たちに、酷い運命を強いている。


ジャージー牛。とっても人懐っこくてかわいい。
牛たちの口元のωがとってもかわいい。
耳を後ろにピンとして、聞き耳をたてるのもめちゃかわいい(^ ^)


 牛たちは除角され、雄牛たちは去勢される。狭い牛舎に閉じ込められ(繋ぎ飼いなどは牛たちにとって不健康・不健全極まりなく、最低最悪のものだ!「一頭一頭目が届き健康状態が把握できる」など、よくもそんな事が言えたものだ!!!)、床替えはなかなかしてもらえず(お金がかかるためや、人員不足のためなど)、換気はするものの、牛舎の中は、おがくずなどで敷き詰められた床に散らばった、糞尿によるアンモニア臭が立ち込めている。そのため、肺炎になる仔たちも少なくない。そして、病気の酷くなった仔は、(治療で持ち直す仔もいるが)死んでしまう。中には、突然死したり、牛舎の柵に頭が挟まって抜けなくなり、そのまま死んでしまう仔もいる。牛たちは寒冷を好むとはいえ、さすがにマイナス20度を越すことも少なくない北海道の冬では、凍死の危険といつも隣り合わせだ。そして、毎日毎日濃厚飼料を食べさせられ、ひたすら肥えさせられる。お腹いっぱいに食べ過ぎた仔は、その反芻の過程でお腹にガスが溜まりすぎてしまい、横になって起き上がれなくなる場合がある。人間が気づき、立たせてあげられなければ、そのままお腹がガスで破裂して死に至る。そして、生まれてから二年半、つまり2歳とちょっとの年齢で「出荷」される。牛たちが怖がるなか、体重を測られ、糞尿で汚れた毛を小削ぎ落とされ、大型トラックに乗せられ、遠くの屠畜場に連れられていく───。僕はそんな光景をこの半年、毎日のように「現場で」間近に見、そして実際に仕事をしてきた。毎週毎週、乗せられたトラックの荷台から僕を見つめる牛たちに向けて、僕は「ごめんね。ありがとう。いつか何とかするから、、、!!」といつも心の中でつぶやいていた。、、、そうだ!僕はこの手を実際に汚したのだ!!牧場の人も認めている。「俺たち(資本主義と、その元で稼働している工場畜産)は、異常な飼い方をしている。」と。牛たちだけじゃない。豚も、鶏も(バタリーケージなど極悪そのものだ!!)、資本主義の人間たちによって、酷い一生を強いられている。


これが資本主義の正体だ!!
僕はもう、資本主義を絶対に認めない!!!
もう、認めることなどできない!!!!


 僕は牛たちを騙している。見て見ぬふりをしている。僕が牛たちに優しくしているのは、その贖罪のつもりなのだろうか───。そんな悩みにいつも苛まされた。今もそうだ。幸い僕は楽観主義的で、未来志向の人間だ。そして、資本主義というものが現状必要悪だということ、そして、次世代のイデオロギー───僕はそれが、社会資本主義というものだと考えている───への遷移、より良い人間社会システムの実現へ向けたパラダイム・ミームのシフトにおける過度期だということも理解している(そうでなければ、鬱になっているところだ!)。しかし、僕の眼の前で、牛たちのこんな理不尽で、不健康で、不健全な生活が「実際に」行われている。たとえ目を背けようとも、見て見ぬふりをしようとも、こんな畜産動物たちの過酷な現実が、僕らの、現代人の、資本主義の生活の足元で、毎日繰り広げられているのだ。───この真実に、僕のじくじたる思いが消えることはないだろう。この現実が解消されるまで。




“オレたちがやらなくても誰かがこの仕事を請け負うンだ!わかるか!
おまえの知らないところで誰かが死ぬンだ!それが現実だ!
おまえは、おまえの知らないところで起きていることを止められるとでもいうのか!?”

ガフ・ガフガリオン - FINAL FANTASY TACTICS

 

 わかるだろうか?畜産動物たちに対する資本主義社会、つまり我々現代人の行いは、もはや「食べものは残さず食べよう」などという阿呆みたいな、幼稚で陳腐な言葉や行動で済まされるレベルをはるかに超えているのだ!!「命を大切に。命を粗末にしない。」というのなら、僕は、貴方は、そのための「実質的な行動」を起こさなければならない。資本主義はもはや、いや、はるか以前から、そういうレベルにまで達しているのだ!!!

 僕は、命の源である食べものをつくる農業が、僕にとって最高の仕事だと信じている。僕がその幼い頃から抱き、繋ぎ、育んできた、地球や自然、いきものたちへの愛・まなざし。そして30代半ばから実質的に始まった、農業ボランティアとNPOの仕事における、農業や生物多様性貢献の実践。そしてこの北海道での4年間の仕事や生活から得た「実感」によって、「生態系や生物多様性への貢献を包含した農業の実現」という僕のビジョンは、確信の域にまで達した。だからこそ、、、!!───だからこそ、この工場畜産の、いのちに対する理不尽な現状が改善・解消されないかぎり、この僕のビジョンは達成される道理が無いのだ、、、!!!

 このように、それまで完璧だったはずの僕のビジョンは、この半年で大きく揺らぎ、自信を失った。そしてさらに追い打ちをかけるように───、この畜産動物・工場畜産の現実との直面を通じ、僕のそれまでのビジョン、考え、そして過去の行動には、致命的な見落としがあったことにも気付くことになった。それは、、、


僕が思い描き、実践してきた、
生物多様性貢献という行いの「生物」のなかに、
畜産動物たちは含まれていなかったのだ、、、!!


 僕は愕然とした。牧場の仕事をしているある日、僕はこのことに気がついた。気がついてしまった。僕は、、、この気付きに打ちひしがれてしまった。僕はNPOの仕事で、そして家庭菜園や農業の仕事、そして自然やいきものたちとのふれあいのなかで、そして何より、子どもたちへの教えのなかで!!自分の行動は生物多様性に正しく貢献していると思ってきた。しかし、そこには重大な見落としがあったのだ。僕は、畜産動物といういきものを、「いきものとして認識していなかった」のだ。「畜産動物が存在する」という認識すらほとんど無く、当たり前に、目の前にある肉を、単に「食べもの」としか認識できていなかったのだ。そして、そういうことを想像すらできていなかったのである。毎日毎日、彼ら畜産動物たちのいのちを喰らっているにもかかわらず、、、!!!これはつまり、「生態系保全作業は大事だ。希少種の保護も大事だ。生物多様性貢献、万歳!!、、、でも、畜産動物は生物じゃない。食べものだ。「生物」という括りに入っていない、だからどうでもいい存在だ。」と考えていることと同義なのだ、、、!!


仔牛の和牛たち。いつも元気いっぱいだ。
好奇心旺盛だけど、ビックリするとすぐ逃げる。それがまたカワイイ(^ ^)


 僕は自分を恥じた。そして、とても悔しく、情けなくなった。しかし、そんな自分を擁護すると、その当時、僕はまだ───幼い頃からずっと───、コンクリートに囲まれた都市とベッドタウン───人工と電脳で埋め尽くされた世界───を往復する生活だった。僕は、生物多様性貢献の仕事をしていたものの、それは、都市という歪で、邪悪な世界の中でのことだった。畜産業の現実、そして畜産動物の過酷な生があるということを、「命の生々しい現場」でのやりとりが、この瞬間にも誰かの手で行われているということを、想像できる由があるはずもなかったのだ。そこまで想像を膨らませることができなかったのだ。
 資本主義の発展した社会・都会では、肉とはお金を払って手にいれるもの、スーパーに陳列されている「バラバラにされた肉塊」という認識で止まってしまう。その先の「肉とは、我々人間と等しく生きている、感情があり、愛情がある動物であり、その動物を殺し、切り刻んだものの一部。」という想像にまでなかなか辿り着かない。「実感を伴う」想像となれば、なおさらだ。都会に暮らす人間で、実際に牛や畜産動物たちを間近に見、世話をし、その存在を実感したことがある人が、果たしてどれだけいるのだろうか?都会の生活とは、そういった「命の生々しい現場」からことごとく離れてしまったものなのだ。そしてそんな「命のやりとりの実感の無い」人々が中心となって、この狂った資本主義を来る日も来る日も稼働させているのである。逆説的に言えば、「命のやりとりの実感の無い」人々だからこそ、この狂った資本主義を稼働させることができる。と言えるのではないだろうか?だから、この畜産動物たちの過酷な現実が改善・解消されるのは、なかなか難しく、まだ時間を要するだろう。EUやオーストラリア、カナダ、そしてアメリカなどでは、動物福祉に則した酪農業および畜産業、そして、畜産動物たちのサンクチュアリ開設などのムーブメントが徐々に進行しつつあるが、日本ではまだまだ種火の状況だ。それが、とてもとても、情けない。日本はなぜいつも後発なのだろう!?日本は島国で、そもそも社会主義的な気質がある。そこには、「ビッグ・ブラザーに見られていた方が楽でいいや。」という本心が見え隠れしている。日本人は礼儀正しく、大人しいのではない。ただ「揉め事や難儀なことに関わりたくない」「上に任せておけばいい」だけなのではないだろうか?実態は民主主義の真似事をしている社会主義国家であり、民主主義国としては、まだまだ未熟。と言わざるをえないのではないだろうか?───この議題に関しては、さらに冗長になってしまうので、ある言葉を引用して、ここで割愛したい。



“The revolution starts at the bottom.”

Yvon Chouinard - Patagonia founder



 ───畜産動物たちの過酷な現実が改善・解消されるのは、まだ時間を要するだろう。だから───僕は畜産動物たちを解放する。そのための力になる。そして、まだまだマイノリティである、有機農業のために働く(もともと農業は、有機農法がメインストリームであり、そして健全であったはずだ。それが行き過ぎた資本主義によって、もはやズタズタにされてしまっている!!)。僕は、有機農業の守護者となる。そして、僕は社会資本主義を、ベーシックインカムを、パーマカルチャーを、パラダイムシフトを実現させるための力となる。僕は、より良い社会・未来を目指すための、革命の力となる!!

 僕のこれまでの人生すべてにおいて培い、確立させてきた「生態系や生物多様性への貢献を包含した農業の実現」という僕のビジョンは、この半年における畜産の経験で、大きく揺らいだ。僕はこの半年で、かわいい畜産動物たちの過酷な現実に、大きなショックを受けた。だけど、その経験が、僕のビジョンをさらに強靭なものに、明確なものに、未来的なものへと成長・脱皮させてくれた。

 そして、テクノロジー。僕はテクノロジーも大好きだ。バイオテクノロジーやバイオミミクリーなど、地球や自然環境、生物・生態と、テクノロジーとの協調や融合の技術革新なんて、いつもワクワクしてくる。テクノロジーを進化・深化させていくのは、人間───ホモ・サピエンス・サピエンス───の宿命だ。止めることなどできない。そして人間は、いずれにしても、宇宙を目指すだろう。これも人間の総意であり、宿命だ。なぜなら、現に僕ら人間は今、そうしているのだから。それを否定することはできない。それを否定するということは、僕ら人間の進化を止めてしまうことになる。僕ら人間の好奇心・探究心は無限大なのだ。僕ら人間は、その好奇心・探究心を、大いに解放すればいいのだ。「THE SINGULARITY IS NEAR」のレイ・カーツワイルの言葉を借りれば、僕は「パーマカルチャーを愛するシンギュラリタリアン」だ。「生態系や生物多様性への貢献を包含した農業の実現」という僕のビジョンの実現は、今後発現していくであろうテクノロジーの指数関数的進化が、きっと後押ししてくれるだろう。

 僕は、畜産動物たちと動物福祉に則った酪農・畜産業、そしてIoTやAI、バイオテクノロジーなどのテクノロジー駆使をも肯定・包含した、生物多様性に則った、有機農業のありかたを模索し、実践していく。それを、僕の生涯のライフワークとする。僕の道は、定まった。

 すべてに多様性を!
 北海道にやってきて、長いようで短く、短いようで長かった4年間。
 さあ、僕の「スローライフ * 北海道」探求の旅はこれで終わり。
 これから、僕の「スローライフ * 北海道」実践の旅がはじまる。