アズマヒキガエルと、外来種問題と───。“みんなちがって、みんないい”

アズマヒキガエル

 田圃の畦畔を草刈り中に、アズマヒキガエルが草むらの下にじっとしているのをみつけた。これまでの北海道での目撃例などいろいろな事例や、鼓膜部分の特徴などから、おそらくアズマヒキガエルだろうと思う。あやうく草刈り機で真っ二つにしてしまうところだった(^^;


 このアズマヒキガエル、どうやら北海道では指定外来種、つまり国内外来種というレッテルを貼られているようである。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/shiteigairaishu01.htm

 では、同じく北海道における国内外来種であるカブトムシはどうかといえば、お咎めなしという状況だ(いちおう北海道ブルーリストにはリストアップされているが、、、)。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/alien/bluelist/bluelist_top.htm

アズマヒキガエル。僕のなかでは一定の警戒心を感じつつ、かわいいと感じるいきものだ(笑)。可愛いけど、耳腺には気をつけなければならないからだ。一般的にはヒキガエルは気持ち悪がられるのがほとんどだと思うが、それは彼らが強い毒を持っているのではないか?ということを外見などから本能的に感じ、警戒することを示す、人間の極めて自然な反射反応なのかもしれない。


アズマヒキガエル。
指がなんだか可愛らしい。
人間は実に勝手だ。いきものたちには国境も、行政区分もないのに、在来種とか、外来種とか、特定外来生物とか要注意外来生物とか国内移入種とかレッドリストとか史前帰化植物とか(ry、、、、勝手にいきものたちを区別し、色分けしている。いきものたちはみな、自身の生存や繁殖に適した場所をみつけ、ときには人間に意図的・非意図的にかかわらず未知の地に連れてこられ、そこでうまく適応し、精一杯に生きているのだけなのに!!いきものたちからすれば全くもって大きなお世話だろうし、あるいは自分たちを国境や行政区分や、「思想」や「派閥」などで色分けし、日々争いごとに明け暮れている人間たちを、なんという愚かな種族・兄弟たちだろうかと思っていることだろう。

 生態系や外来種に関するニュースに対するSNSなどのコメント欄には、実に無知で、無責任で、幼稚な、実感を伴わない「バーチャルな」意見が溢れかえっている。そして、「生態系」とか「外来種」とかの<言葉だけ>が、各々曖昧な意味や都合のいい解釈を伴いつつ、半ば「ブランド化」でもしてしまったかのように<独り歩き>しているような印象がする。そして、そういう恥知らずなコメントを残している人に限って、草刈りも、虫捕りも、いきものたちに触れ合うこともろくにしたことのない、「アタマだけで勝手に思違いしている」連中のような気がしてならない。ついには、日本人は実は本当のところは、世界中の国々の人々と相対的に比べ、死生観がかなり歪んでいるのではないか!?そんな妄想さえ起こってくる。また、外来種に対する日本人一般の考えは、島国であることも関係しているのかもしれない。そして、「外来種」とか「外来」というものに対して、もしかしたら日本人は何か特別なインパクトや性質や、盲目的だったり潜在的な嫌悪や恐怖を感じているのかもしれない。


 諸行無常。The Only Constant Is Change.────世知辛く、複雑で、なにかにつけ「メンドクサイ」今のこの時代、必要悪というものはもちろんあるだろう。それは認めざるをえない。でも、僕は原理主義は大嫌いだ。May the force be with you──僕は「スター・ウォーズ:最後のジェダイ」で最古の書物を・・・・・してしまったことも、結末も、心細くも大いに気に入っている。ある特定の自然環境を──昔の状態を!──「保持・保存」するために、移入種を──現在まぎれもなく進行している事象を──「徹底的に」排除する方針や活動は昔からどうしても好きになれない。僕の「本能」が、それを明らかに・生理的に拒絶している。最近話題の「池のかいぼり番組」がいい例だ。吐き気を催すような、極めて気味の悪い「異常な」番組だ。、、、そう、僕はあの番組に物申したくてこの記事を書いたのだ。生態系や外来種などの問題を「大義名分」に、みだりに殺生することは絶対に許されないし、あってはならないことだ!!なぜなら、僕や君の命は、今まさに、僕や君以外のたくさんの命に支えられているからだ。在来種も外来種も、そんなことなんか一切関係ない。すべての命が、お互いに支えあって生きているのだ。生きることは辛く、苦しく、楽しく、泣き、笑い、悲しみ、喜び────すべてが素晴らしく、かけがえのないものだ。だからこそ、自分以外の命をみだりに奪ってはいけないのだ。それが、森羅万象、生きとし生けるものの真理だ。そんな了解が、人々の暮らしに、生活に、「当たり前に」浸透している人間社会が実現してほしいと、いつも、心から、願わずにはいられない。




 この「池のかいぼり番組」について考え始めると、いつもいつもモヤモヤが止まらなくなる。そんなわけでこの記事を書いたわけだが、この記事を書くにあたりネットを泳ぎ回っていたら、とても素敵な詩に出会った。

“みんなちがって、みんないい。”

 金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩だ。この素晴らしい出会いに、ただただ感謝。そう────“みんなちがって、みんないい。”のだ。



のっそのっそとかわいいアズマヒキガエル。かわいいが、グロい、ということも認めないわけにはいかない(^^;
“みんなちがって、みんないい”のだ。