9月のいきものたちと風景、そして現代農業と資本主義について タンチョウ、イシミカワ、トウバナsp.、アキアカネ、キアゲハ、モズ

9/8 美瑛の外れ・北美瑛方面の畑でタンチョウがいた!超ビックリした!!遠目から見た感じでは頭頂が赤くなかったので、おそらく若鳥か。昔は北海道のどこでもいたようだが、現在では旭川周辺で目撃例があるものの稀らしく、道東→十勝→道北へと生息域を拡げて(戻して)いるのだろうか?


9月のいきものたちと風景、そして現代農業と資本主義について思うこと。


9/4 エゾシカによるトウキビ食痕。こうやって実の先っぽだけ齧り進んでいく。穫れごろの美味しそ〜な一番果だけ!(T T) 鹿たちも生きていくためとはいえ、これじゃあ憎たらしくもなるわなぁ、、、。

どうせ食べるなら、しっかり食べきってもらいたいものだ、、、。

トウキビ畑

9/5 五稜の丘から十勝岳連峰方面を望む

9/6 モズ

9/16 アキアカネ。体色が赤くなりはじめている。

黄金色に輝く稲田。もう稲刈りの時期だ。

日本人はやっぱりコメだよなあ。

臭角をちょっと出したキアゲハ幼虫。田んぼの畦の内側には、稗などとともにセリが、いわゆる水田雑草がたくさん生えていて、まさにキアゲハ天国になっている。畦畔の草刈りをしていると、ひっきりなしにこの子たちの臭いが漂ってくるが(邪魔してゴメンよ;)、ほとんど常にこのニオイ攻撃を食らっていると、だんだんいいニオイなんじゃないかと鼻が錯覚してくる笑。でも、ちょっとだけ成分を変えればいいニオイになりそうだし、虫除けスプレーなんかに応用できそうな気も、しないでもない。


イシミカワ。北海道では初見

イシミカワ

トウバナsp. 揉むのはもちろん、近くからでも苦味がかったミントの匂いがする。イヌトウバナだと思うのだが、7月のと同様、まったく自信がない。

トウバナsp.

トウバナsp.






ある場所でふと見かけた畑の土。僕の動物としての本能・直感が正常ならば、これはひどい土だ、、、

肥沃な、有機物にあふれたフカフカの土とは程遠い、養分を吸い尽くされ、全面カサカサで、ゴチゴチに固い土。奴隷のごとく、こき使われ続けた土だ、、、。

 上の写真2枚は、ある場所でふと見かけた畑の土。土壌成分などの詳しいことは僕はわからない。だけど、僕の動物としての本能・直感が正常ならば、これはひどい土だ、、、。肥沃な、有機物にあふれたフカフカの土とは程遠い、養分を吸い尽くされた、全面カサカサで、ゴチゴチに固い土、、、水はけが良いなどというレベルをはるかに通り越した、保水力の全くない、ボロボロの土だと思う。おそらく化学肥料や農薬を来る年も来る年も大量に投入され、奴隷のようにこき使われ尽くした土ではないだろうか?、、、

 現代農業は除草剤や農薬──殺虫剤や殺菌剤など──、そして化学肥料を使いすぎる、、、!!!いや、もはや現代農業はそれらなしには成立しないものと成り果ててしまっている。ほとんどの農家さんや農業従事者が作物以外の草花や土壌の生態などをしらないのは、百歩譲っても(今現在ならまだ)しょうがないことだとは思う。だけど、そんなことより大問題なのは、農薬なり除草剤なり化学肥料なり、薬を撒くことが農業の仕事のなかにおいて常態化してしまっていること、ルーティン化してしまっていること、そしてその是非について・本当のところを考えなくなってしまっていること、ついには良心の呵責を感じることもほとんどなくなってしまっていること、これに尽きる。と思わずにはいられない。

 こんな現代農業にしてしまったのは、間違いなく、まぎれもなく資本主義である。そしてそれらを──資本主義を、農薬や化学肥料漬けの現代農業を──いまだに支え続けているのは、他ならぬ我々一人一人なのだ。いつもいつも世知辛く、しがらみだらけなのは都会の生活だけではない。農業のエコシステムも、化学肥料や農薬などの業者や、農協などとのしがらみでがんじがらめだ。すべてはお金のため、経済という歯車を回すため。資本主義はそのためにあらゆるものに侵入し、じわじわと蝕んでいく。資本主義はあらゆる物事の本質を偽造し、装飾し、歪曲し、価値を貶め、陳腐化していく。そして、いのちの尊さは、ことごとく後回しにされる。そして、いずれすべてを破滅させていく(それはもうはじまっている。)───。毎年──多年草なら数年間隔で──、成熟した果実から採る種(F1ではなく、土着の品種!!)と、すこしの健康な土と、太陽と、水と、空気───たったそれだけで、、、たったそれだけで、人ひとりを十分養えるぶんの作物はちゃんと育つのに。それこそが真実なのに、、、!!


 僕は農業の仕事が、純粋に好きだ。空の下で、「汗水垂らして働く」ことが、とても尊く、かけがえがなく、そして愛おしい。でも、こんな酷い現代農業の現実(例えばその他)に直面するたびに、とても、とても悲しく、やるせない気持ちになる。
 僕は、資本主義の甘い汁を貪るような人の浪費のための、享楽のための、自堕落のための、文字通りの「私腹を肥やす」ための野菜作りをするのは嫌だ。いのちを繋ぐための、いのちの尊さや、生きるしあわせやよろこびを味わってもらうための、農業がしたい。



9/29 夕日に照らされる稲田とエノコログサ